ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵 (1)
3歳で家族と共にイタリアへ
生まれは横浜で、ひとつ違いの姉がいます。横浜といっても家があったのは里山が広がるのどかな場所で、そこが私の原風景。実家は印刷業を営んでいましたが、私が3歳のときに父が突然仕事を辞め、両親と姉と私の家族4人でイタリアへ渡っています。
東京で幼稚園を経営していた祖母が、体調を崩したのを機に転地療法をすることにした。一家で移り住んだのが、横浜の中でも自然豊かなその場所でした。ただ幼稚園を引き上げてきたものの、絵描きをしていた祖父にはこれといった稼ぎがない。祖父は反戦の心を貫くために、戦争中に筆を置いた人でした。家族を養うために何か仕事をしなければいけないと必要に迫られた父が、兄弟とはじめたのが印刷業。祖父の専門がエッチングだったので、印刷業を選んだのもその流れだったのではないかと思います。
当時はまだ印刷業が盛んだった頃。印刷の主流は文字を組み合わせて刷る活版印刷で、大きな機械が朝から夜中まで絶えることなく一日中働いていました。家業は軌道に乗っていたけれど、父たち兄弟にとってそれはあくまでも生活の糧であり、ずっと印刷の仕事をしたいと考えていた訳ではなかったようです。それぞれがそれぞれの本当にしたいことを模索し、結果父が行き着いたのが、幼少の頃から独学で取り組んでいたヴァイオリン制作の道でした。
ヴァイオリン教育のスズキ・メソードを日本に広めた広瀬八朗先生が若い頃東京の祖母の家に下宿をしていて、その縁で幼稚園の子どもたちに音楽教育をしてくれていたことがありました。父も広瀬先生の教え子のひとりです。
父が小学生の頃、はじめて買ってもらったヴァイオリンをその日のうちにばらばらにして、さらに家にあった立派なテーブルを壊し、自分でヴァイオリンをつくりなおしてしまった、という逸話が残っています。もしかすると父は、当時から楽器を弾くことよりも、ヴァイオリン自体に興味があったのかもしれません。後に父はヴァイオリン職人の道に進み、父と一緒に印刷業を営んでいた叔父は、スズキ・メソードを広めるためにオーストラリアへ移住しています。
クレモナに行きましょう!
当時は1ドル360円。ヨーロッパへ行くのはものすごくお金がかかる時代で、父もきっと大きな覚悟を決めて行ったはず。けれど当初はヴァイオリン職人になるとはっきり考えていた訳ではなく、ホテルを転々としながらいろいろな街を家族で渡り歩く日々でした。港町では岸に舟がぷかぷか浮かんでいたり、湖のある避暑地では小手毬の花がわっと咲いていたり……と、いくつかの光景が記憶に残っています。
何を思ったのか、ある日突然母が“クレモナに行きましょう!”と言い出した。特に何か目的があった訳ではありません。後になってわかったことですが、実はクレモナというのは世界的に有名なヴァイオリン工房が集う楽器のメッカのような街。不思議なことに、母にはそうした神がかったところがありました。
そのときも何か啓示のようなものがあったのでしょうか。父はクレモナで工房に入り、ヴァイオリン制作を学ぶことになった。流転の暮らしもそこで終わり、私は現地の幼稚園に入園しています。けれど私は幼稚園に行くのがものすごくイヤで、毎日のように泣いていました。
イタリアにいたのは一年ほど。姉が小学校に入る年齢だったこともあり、家族で日本に戻っています。帰国後姉は小学校に入学しましたが、私は日本では幼稚園に入らずじまい。帰国後も父はたびたび単身イタリアに渡って修業を続け、その後日本でヴァイオリン職人をはじめます。
ダンスとの出会いは天気予報
バレエをはじめたのは5才の頃。イタリアにいたとき天気予報をテレビで見ていたら、何故か女の人が踊っていて、私が“こういうのをやりたい!”と言い出したのがきっかけでした。
リトミックや体操など母があれこれ調べてみたものの、娘がやりたいのはどうもそういうものではないらしい。知り合いにいろいろたずねた結果、横浜の音楽堂で働いていた父の知人が紹介してくださったのが小倉礼子バレエ・スタジオでした。“小倉先生のお教室がいつも音楽堂で発表会をされているのだけれど、ご父兄の感じがとてもいいのできっといい先生だと思います”と推薦してくださり、教室に通うことになりました。
当時は情報も限られていたし、今のようにあちこちの教室へ見学に行ったり体験レッスンをしてから決めるという時代ではありません。ひとたびその先生についたらずっと習い続ける、という風潮がありました。私も5歳で小倉礼子バレエ・スタジオに入り、その後高校卒業まで小倉先生のお世話になっています。
ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(2)につづく。
公演&ワークショップ情報
<公演>
『邂逅』
2022年11月18日・19日
会場:オランダ大使館
https://www.naable.com/20221006-2/
DaBYツアー『パフォーミングアーツ・セレクション 2022』
〜2022年12月11日
https://dancebase.yokohama/event_post/performing_arts_selection2022
アーキタンツ ショーケース
2022年12月18日
http://a-tanz.com/event/28109
<ワークショップ>
中村恩恵 アーキタンツ コンテンポラリークラス
毎週水曜日 15:45〜17:15
http://a-tanz.com/contemporary-dance/2022/10/31153428
中村恩恵オンラインクラス
土曜日開催。詳しくは中村恩恵プロダクションへ問合わせ
mn.production@icloud.com
プロフィール
中村恩恵 Megumi Nakamura
1988年ローザンヌ国際バレエコンクール・プロフェッショナル賞受賞。フランス・ユースバレエ、アヴィニョン・オペラ座、モンテカルロ・バレエ団を経て、1991~1999年ネザーランド・ダンス・シアターに所属。退団後はオランダを拠点に活動。2000年自作自演ソロ『Dream Window』にて、オランダGolden Theater Prize受賞。2001年彩の国さいたま芸術劇場にてイリ・ キリアン振付『ブラックバード』上演、ニムラ舞踊賞受賞。2007年に日本へ活動の拠点を移し、Noism07『Waltz』(舞踊批評家協会新人賞受賞)、Kバレエ カンパニー『黒い花』を発表する等、多くの作品を創作。新国立劇場バレエ団DANCE to the Future 2013では、2008年初演の『The Well-Tempered』、新作『Who is “Us”?』を上演。2009年に改訂上演した『The Well-Tempered』、『時の庭』を神奈川県民ホール、『Shakespeare THE SONNETS』『小さな家 UNE PETITE MAISON』『ベートーヴェン・ソナタ』『火の鳥』を新国立劇場で発表、KAAT神奈川芸術劇場『DEDICATED』シリーズ(首藤康之プロデュース公演)には、『WHITE ROOM』(イリ・キリアン監修・中村恩恵振付・出演)、『出口なし』(白井晃演出)等初演から参加。キリアン作品のコーチも務め、パリ・オペラ座をはじめ世界各地のバレエ団や学校の指導にあたる。現在DaBYゲストアーティストとして活動中。2011年第61回芸術選奨文部科学大臣賞受賞、2013年第62回横浜文化賞受賞、2015年第31回服部智恵子賞受賞、2018年紫綬褒章受章。