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ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(36)

ネザーランド・ダンス・シアター(NDT)でイリ・キリアンのミューズとして活躍し、退団後は日本に拠点を移し活動をスタート。ダンサーとして、振付家として、唯一無二の世界を創造する、中村恩恵さんのダンサーズ・ヒストリー。

子育てをおえて

娘が18歳になったとき、あぁもう大丈夫だ、後は自由に自分自身で判断すればいい、という気持ちになりました。私自身18歳で親元を離れ、海外に出て、仕事も私生活も全て自分で決めてきた。親にはいつも事後報告でした。いろいろなことはあったけど、あっけなく母親が終わろうとしている感覚です。

子どもを産んで、子育てをして、気づかされたこともたくさんあります。

子育ての難しさに直面したとき読んだ本の中に、“こうあるべきだという意識が強い親の子どもに生きづらさが生じることが多い”と書かれていて、思いあたることがすごくたくさんありました。私自身“こうでなければいけない、こうあるべきだ”という意識が強く、“昨日より今日の方が少しでも良くならなければいけない、努力を惜しんではいけない”と想い日々生きている。おそらくキリスト教の教えが血となり肉となり形成された価値観だと思います。自分自身に対しても、周りに対してもその価値観で縛るようなことがありました。

でも子育てで大変だったとき、苦しんだことによって自分の目が開かれた。一歩引いて周りを見ることができるようになった。カンパニーにいた頃は、とにかく自分が踊りたかった。ファーストキャストでいたかった。けれど母になったら自分のことは後回しでよくて、子どもが喜んでくれたらそれだけですごくうれしい。

それは娘に対してだけではなくて、ダンサーに対してもそう。彼らが喜んで踊っているのを見ると、私もすごく幸せな気分にさせられる。以前はダンサーができないと「ついてこれない人が悪いんです」という意識があったけれど、そこも変わった。いちダンサーとして相手を見るのではなく、誰々さんという人で、どういう夢を持っていてーーと、ひとりひとり向き合えるようになった気がします。

Dance Sangaで拠点をつくる

日本に帰国したときは、まずは子育てが大事だという気持ちが私の中にありました。できるだけ娘と長い時間いられるようにと、家から徒歩5分のところにスタジオ『Dance Sanga』を構え、教えをはじめています。当初は通常のクラスを教えていましたが、そのうち数ヶ月かけた長期的なワークショップを実施したり、研究生が各々作品をつくって発表したりと、『Dance Sanga』が次第にひとつの拠点になっていきました。

『Dance Sanga』をつくったときは子どもが小学生になる頃で、母として頑張らなければ、しっかりしなければ、と気を張る自分がいました。けれどひとたびスタジオに入るとそうしたものを全て脱ぎ捨て、素の自分になって他者と時間を共有できる。またそうした空間を提供できる場をつくりたいという気持ちがありました。

子どもというのは10歳が変わり目で、反抗期がくるといわれています。実際レッスンにくる子どもとお母さんを見ていると、この母子はきっとここに来るまでにケンカをしていたのだろうなと感じることがよくありました。けれど硬い表情をしていた子どももレッスンをすると笑顔になり、お母さんも同じ母親同士でお喋りすることですっと穏やかな顔になっていく。習い事というのは技術を習得するだけではなく、リフレッシュできたり、相談できたり、悩みがちょっと和らいだりすることもある。すごくすてきなことだなと私自身改めて感じさせられました。

ところがある日、ビルの事情で急遽スタジオの退去を迫られた。困り果て、縁のあった横浜BankARTの池田修さんに相談し、スタジオを移転しています。BankARTはTPAMの会場になったりと活発な活動をしていて、さまざまなアーティストが出入りしていた。そこで岡登志子さん率いるアンサンブル・ゾネとDance Sangaが共同でプログラムを発表したり、廣田あつ子さんと一緒に作品を創作したりと、いろいろ広がりが生まれていきました。

娘と

駆け出しの作家として

日本に拠点を移してはじめて発表したのが、Noismからの委嘱作品『Waltz』。初演は2007年10月で、その年の3月、4歳になる娘を連れて帰国しています。

まだ作家としては駆け出しで、創作をはじめてまだ間もない頃でした。プロとして発表した作品は5本ほどで、バレエ団からの委嘱としては3本目でした。『Waltz』は安藤洋子さんの作品とのダブルビル『W-View』での上演で、40分の作品でした。当時の私にとって40分というのは大作で、しかもそれを公共劇場に委嘱作品として提供できるというのは大きな出来事であり、振付家として新たな段階に来た感覚がありました。

個々のダンサーのポートレートが舞台上に配置され、そこでグループができ、人と人が出会い、ワルツのステップが生まれてくるーー。そんなイメージが当初の構想としてありました。

作品のヒントになったのが、カミーユ・クローデルの手がけたひとつの彫刻作品でした。カミーユはあるとき公共の場から依頼され、『ワルツ』という裸の男女の彫刻をつくりあげた。けれど裸はモラル的によくないから衣裳をつけろと上からいわれ、ブロンズ彫刻の衣裳をつけたといういわくある作品です。

人間はもともと全きものとして存在していたけど、あるときジュピターによって男と女にわけられてしまう。それ以来人間は常に内側に欠落感を抱えるようになった。その苦しみを見た愛の女神ヴィーナスが自転しながら公転するような男女の踊りを考案して人間に与えると、それを踊る間は全き存在だった頃のように孤独の苦悩から解放されるーー。それがワルツの原型となった“ヴァルス”という踊り。

カミーユはそれをもとに作品をつくったと創作ノートにしたためています。

愛犬と

 

ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(37)に続く。

 

インフォメーション 

<公演>

STUDIO ARCHITANZ スタジオ・パフォーマンス
『3人の振付家による3本の新作』
2023年12月8日(金)、9日(土)20:00開演
http://a-tanz.com/event/34971

イタリアバロック音楽とコンテンポラリーダンスによる『ヴェネツィア水鏡綺譚』
2024年1月7日 17:00
会場:ファンタジー・アンプロンプチュ
チケット購入、問合せ:090 1277 7867 ファンタジー・アンプロンプチユ 林

<クラス>

中村恩恵 アーキタンツ コンテンポラリークラス
毎週水曜日 15:45〜17:15
http://a-tanz.com/contemporary-dance/2022/10/31153428

中村恩恵オンラインクラス
土曜日開催。詳しくは中村恩恵プロダクションへ問合わせ
mn.production@icloud.com

プロフィール

中村恩恵 Megumi Nakamura
1988年ローザンヌ国際バレエコンクール・プロフェッショナル賞受賞。フランス・ユースバレエ、アヴィニョン・オペラ座、モンテカルロ・バレエ団を経て、1991~1999年ネザーランド・ダンス・シアターに所属。退団後はオランダを拠点に活動。2000年自作自演ソロ『Dream Window』にて、オランダGolden Theater Prize受賞。2001年彩の国さいたま芸術劇場にてイリ・ キリアン振付『ブラックバード』上演、ニムラ舞踊賞受賞。2007年に日本へ活動の拠点を移し、Noism07『Waltz』(舞踊批評家協会新人賞受賞)、Kバレエ カンパニー『黒い花』を発表する等、多くの作品を創作。新国立劇場バレエ団DANCE to the Future 2013では、2008年初演の『The Well-Tempered』、新作『Who is “Us”?』を上演。2009年に改訂上演した『The Well-Tempered』、『時の庭』を神奈川県民ホール、『Shakespeare THE SONNETS』『小さな家 UNE PETITE MAISON』『ベートーヴェン・ソナタ』『火の鳥』を新国立劇場で発表、KAAT神奈川芸術劇場『DEDICATED』シリーズ(首藤康之プロデュース公演)には、『WHITE ROOM』(イリ・キリアン監修・中村恩恵振付・出演)、『出口なし』(白井晃演出)等初演から参加。キリアン作品のコーチも務め、パリ・オペラ座をはじめ世界各地のバレエ団や学校の指導にあたる。現在DaBYゲストアーティストとして活動中。2011年第61回芸術選奨文部科学大臣賞受賞、2013年第62回横浜文化賞受賞、2015年第31回服部智恵子賞受賞、2018年紫綬褒章受章。
 
 

 

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