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ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(13)

ネザーランド・ダンス・シアター(NDT)でイリ・キリアンのミューズとして活躍し、退団後は日本に拠点を移し活動をスタート。ダンサーとして、振付家として、唯一無二の世界を創造する、中村恩恵さんのダンサーズ・ヒストリー。

ブーイングを全身で受け止める

キリアンと創作ができるのはみんなにとってとても幸せな時間でした。彼はなぜあんなに素晴らしい作品を、あんなにも多くつくることができたのでしょう。やはり天才なのかもしれません。とはいえキリアンのつくる作品も全てが全て名作ばかりとは限りません。世界中のカンパニーでレパートリー化されているキリアンの振付作は、売れていった作品であり、いわば選りすぐりの名作ばかり。なのでキリアン=完成された振付家というイメージを持たれがちですが、カンパニーで彼とずっと一緒に仕事をしていると、また違った体験をすることになります。

過去の上演作の中には、“これは封印してしまおう”というような作品もやはりありました。クリエイションの最中から“今回の新作は失敗作だ”と全ての人がわかっていても、上演が決まっている以上は期日までに仕上げなければならないし、つくり変えるなんてとうていできないこともある。良からぬ方向に進んでいるのを感じつつ、軌道修正できず、そのまま本番に近づいていく。“今回は批判が起きるかもしれない”という作品のときは、ダンサーの間に“ブーイング・アタックに備えなければ”というある種の覚悟が生まれます。

日本の場合はたとえ作品に不満があったとしても、ブーイングはまず起こらないし、途中で帰ってしまうような人もまず見かけないもの。けれどヨーロッパの場合は露骨に反応が返ってくるので、ダンサーはときにブーイングの嵐に晒されます。

オランダの中でも特にNDTの地元・ハーグは昔からの常連客が多く、自分たちの街のカンパニーであるNDTに誇りと親しみを感じているし、“NDTにどこまでも付いていく”と思ってる。だからこそブーイングがあったとしても、“この作品良くないよ”というコミュニケーションとしてのブーイング。たとえ今回の作品は気に入らなくても、この先も公演を観に劇場へ足を運び続ける、というのはお互いわかった上での反応です。

それにブーイングが起きたとしても必ずしも質が悪かったという訳ではなく、観客が観たくなかったものを観せたことに対する反応、作品のメッセージ性に対する反応でもある。作品自体がいまいちというときは、何となく冷たい反応だったりと、ブーイングすら起こらない。挑戦的、挑発的な作品だからこそブーイングが起こるので、振付家もそれは覚悟の上なのでしょう。ただ実際にブーイングを受け止めるのはダンサーの役目で、ものすごいブーイングの場合、大きな唸り声となって客席から舞台へと返ってくる。舞台上に立つダンサーは、ひたすら全身でそれに耐えるしかありません。

ブーイングにあうような挑戦作はツアーに持っていくことはないので、それは基本的にオランダ国内での話。ただイギリスやNYは例外で、大陸で成功したものに対してあえて批判しようとする傾向があり、どんな反応が返ってくるか別の意味で緊張します。

NDT1パリツアー ©COLETTE MASSON / AGENCE ENGUERAND

 

ぴりぴりのNYツアー

国立のバレエ団と違い、NDTのような私立のカンパニーにとって観客の動員はとても大きな問題です。経済的な危機に陥っても、自分たちの力でなんとか挽回しなければいけません。ある時期、地球温暖化により夏の暑さが加速し、冷房のない劇場は敬遠され、観客の足が遠のいたことがありました。例えばそんなとき“海外ツアーでこんな素晴らしい批評が出た”となると、また観客が劇場に戻ってくるきっかけにもなる。海外の大都市ツアーでの反応はとりわけ重要で、その後のカンパニーの行方を占うものでもありました。 

NDT1に入って私が最初に行った世界ツアーがNYツアーで、これはカンパニーにとって大きな意味を持つツアーでもありました。キリアンがまだ若い頃、アメリカツアーで成功を収め、それをきっかけに国際的な振付家として広く世界に知られていった。けれど二度目のアメリカツアーでぼろぼろの批評を受け、以来アメリカはずっとNDTの鬼門になっていたのです。

NYツアーに行くのは悪評を得て以来で、長い時間が経っていました。季節は秋でしたが、NYに着いたらインディアンサマーで、真夏のように暑かったのを覚えています。キリアンはものすごくぴりぴりしていて、長いこと辞めていたタバコを立て続けに吸っていました。あんなにぴりぴりしているキリアンを見たのはあれがはじめてで、タバコを吸っているのを見たのもあのときが最初で最後でした。

劇場はブルックリンのBAMで、キリアンの『輝夜姫』と『Black & White』をプログラムに持っていきました。『Black & White』は6つの小品で構成されたプログラムで、16分〜20分の短編を休憩を挟んで上演します。『No More Play』と『Sweet Dreams』の二作と、女性だけの作品『Falling Angels』と男性だけの作品『sarabande』、『Ptite Mort』と『Sechs Tänze』の二作がそれぞれ対になっていて、タイトル通り衣裳も黒と白のモノトーンで統一されている。いわばNDTのザ・名作集で、よく世界ツアーで上演していた定番のプログラムでした。

私は『Falling Angels』と『Ptite Mort』に出演しました。『Falling Angels』はスティーブ・ライヒのドラム曲に振付けたとても難しい作品で、ワン、ツー、ワンツースリーワンツースリー、ワーン、ツー、スリー、とカウントがどんどん変わっていき、さらに踊りがカノンになっています。リハーサルはテープを使うのでいつも一定のリズムで聴こえるけれど、本番は生演奏で劇場に音が反響してしまう。“ワン”の音がはっきり聴こえないとタイミングが掴めないので、それは大きな問題です。音と空間を厳密に使いこなさなくてはならない演目で、照明キューが非常に重要になってくる。稽古場とは全く違った環境で、いつも以上に緊張して舞台に臨むことになりました。

NYツアーは大きな成功を収めました。新聞に好意的な評が出て、最終的に立ち見が出るくらいたくさんのお客さんが観に来てくれた。以降たびたびアメリカへツアーに行くことになりますが、評価が上がるにつれ劇場もブルックリンのBAMからリンカーン・センターに変わり、ホテルの格もぐんと良くなっていきました。 

©Joris Jan Bos

 

ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(14)につづく。

 

インフォメーション

 

新国立劇場『ダンス・アーカイブ in Japan 2023』
2023年6月24日・25日
https://www.nntt.jac.go.jp/dance/dancearchive/

貞松・浜田バレエ団
『ベートーヴェン・ソナタ』
兵庫県立芸術文化センター 
2023年7月16日・17日
http://sadamatsu-hamada.fem.jp/sche.shtml

神奈川県芸術舞踊協会
『モダン&バレエ』
神奈川県民ホール 
2023年10月28日
https://dancekanagawa.jp

<パフォーマンス>

中村恩恵カナリアプロジェクト 
沈黙のまなざしSilent Eyes
世田谷美術館 
2022年12月22日〜2023年3月21日
https://www.setagayaartmuseum.or.jp/event/detail.php?id=ev01011

<ワークショップ>

神奈川県芸術舞踊協会主催研修会
ダンスワークショップ
2023年3月19日
https://dancekanagawa.jp

中村恩恵 アーキタンツ コンテンポラリークラス
毎週水曜日 15:45〜17:15
http://a-tanz.com/contemporary-dance/2022/10/31153428

中村恩恵オンラインクラス
土曜日開催。詳しくは中村恩恵プロダクションへ問合わせ
mn.production@icloud.com

<オーディション>

(公社)神奈川県芸術舞踊協会主催公演 『モダン&バレエ 2023』
中村恩恵作品 出演者オーディション 2023 年 3 月 21 日開催
2023 年 10 月 28 日上演 「モダン&バレエ 2023」の出演ダンサーをオーディションで募集。
https://dancekanagawa.jp/

 

プロフィール

中村恩恵 Megumi Nakamura
1988年ローザンヌ国際バレエコンクール・プロフェッショナル賞受賞。フランス・ユースバレエ、アヴィニョン・オペラ座、モンテカルロ・バレエ団を経て、1991~1999年ネザーランド・ダンス・シアターに所属。退団後はオランダを拠点に活動。2000年自作自演ソロ『Dream Window』にて、オランダGolden Theater Prize受賞。2001年彩の国さいたま芸術劇場にてイリ・ キリアン振付『ブラックバード』上演、ニムラ舞踊賞受賞。2007年に日本へ活動の拠点を移し、Noism07『Waltz』(舞踊批評家協会新人賞受賞)、Kバレエ カンパニー『黒い花』を発表する等、多くの作品を創作。新国立劇場バレエ団DANCE to the Future 2013では、2008年初演の『The Well-Tempered』、新作『Who is “Us”?』を上演。2009年に改訂上演した『The Well-Tempered』、『時の庭』を神奈川県民ホール、『Shakespeare THE SONNETS』『小さな家 UNE PETITE MAISON』『ベートーヴェン・ソナタ』『火の鳥』を新国立劇場で発表、KAAT神奈川芸術劇場『DEDICATED』シリーズ(首藤康之プロデュース公演)には、『WHITE ROOM』(イリ・キリアン監修・中村恩恵振付・出演)、『出口なし』(白井晃演出)等初演から参加。キリアン作品のコーチも務め、パリ・オペラ座をはじめ世界各地のバレエ団や学校の指導にあたる。現在DaBYゲストアーティストとして活動中。2011年第61回芸術選奨文部科学大臣賞受賞、2013年第62回横浜文化賞受賞、2015年第31回服部智恵子賞受賞、2018年紫綬褒章受章。

 

 

 

 

 

 

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