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ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(18)

ネザーランド・ダンス・シアター(NDT)でイリ・キリアンのミューズとして活躍し、退団後は日本に拠点を移し活動をスタート。ダンサーとして、振付家として、唯一無二の世界を創造する、中村恩恵さんのダンサーズ・ヒストリー。

ダンサーは三食キチンと!

NDTは休みに関しても契約上細かいルールが決められています。休日は基本的に月6日で、週末の日曜だけ1日か、もしくは日曜と月曜の2日間。当時のオランダはお店の開店時間が朝9時から夕方の6時までで、日曜は閉まってしまいます。街によっては週に一回夜8時まで開いているところがあるものの、そうなると6時〜8時の間は長蛇の列。公演があると平日は買い物ができず、休みの日に私の車にみんなを乗せて買い出しに行くこともよくありました。

NDT1は11時に朝のクラスがはじまり、3時から昼休み。公演がある日は夕方5時までリハーサルをして、夜ご飯を劇場で食べ、8時過ぎに幕が上がります。ハーグ以外の場所で公演があるときは、リハーサルの後みんなでバスで移動して、舞台で踊り、帰ってくるのはもう夜中。なかなか規則正しい生活というわけにもいかず、食事もおろそかになりがちです。

ただ当時のNDTのかかりつけ医は女性ながら潜水艦で働いていたという元軍医で、“ダンサーが身体を壊すのは不規則な生活だから。三食キチンと食べるように!”といつも厳しく指導されたものでした。そんなとき重宝したのがカンパニーの食堂です。日中はサンドイッチなど軽くつまめる軽食が、夜はあたたかい食事が用意されていて、駆け込めば何かしらお腹に入れることができる。一日中スタジオにいるダンサーにとっては、そこが貴重な三度の食事の場になっていました。

ひとりぼっちになって

NDTには一日働いたら11時間休みを取らなければいけないという“11時間ルール”があって、例えば夜12時に仕事が終わった場合、翌日仕事がはじめられるのは昼の11時過ぎになる。とはいえ細かく決まりがあったとしても、スケジュール的にどうしてもルールを守るのが難しいこともあります。

海外ツアーのときなどは移動日が重なって休みが取れなかったり、リハーサルが押してしまって11時間の休憩が取れないような場合もあります。休めなかった分はどんどん加算されていき、現金で支給されるか、別日に改めて休日として与えられることになる。長期の休みは基本的に夏休みと冬のクリスマス休暇の年二回。そこに溜まった休日をつければ、冬は2週間くらいのまとまった休みになって、夏は一ヶ月以上休みがもらえることもありました。

長期の休みのときはたいてい日本に里帰りをしていました。帰国すると必ず小倉先生のお教室へ行き、レッスンを受けたり、見学させてもらい、その後生徒さんたちと一緒にご飯を食べに行くこともありました。

服部智恵子先生がお亡くなりになったとき、小倉先生と一緒に服部先生のお宅にお線香をあげにうかがいました。ご主人の島田廣先生は私が小さい頃から何か機会がある度に声をかけてくださり、長いご縁がありました。島田先生がはじめて日本で『白鳥の湖』を上演したときのお話や、当時のバレエ界のお話など、興味深いお話をたくさん聞かせていただき、また私がNDT1を辞めてキリアンのアシスタントとして他のバレエ団に教えに行っていたときには、“いつまでもアシスタントをしていてはいけませんよ”と助言をいただいたものでした。

島田先生が亡くなり、後を追うように小倉先生も亡くなってしまった。小倉先生が亡くなったのは、私が『小さな家 UNE PETITE MAISON』(2013年10月初演)を新国立劇場で発表した直後のことでした。お二人が立て続けにいなくなってしまい、私は何だかひとりぼっちになった気分でした。

この先どうやって生きていく?

 10代の頃負った足首のケガとその後遺症による腰痛は、長い間私の中の不安要素になっていました。手術をしたもののベストと言うにはほど遠く、完全ではないという状態です。足首の不調はまた身体全体の不調にもつながり、腰痛の引き金になりました。

NDT2のツアーでドイツを訪れたときのこと。レストランで食事をした帰り道、氷点下の街中で“あれ、私の腰、何かヘンな感じがする?”と違和感を覚えたのが、私の腰痛人生のはじまりでした。ひとたび痛みが出ると、立っても座っても、寝てても辛い。何をしていても辛く、くしゃみすらできないくらいです。おまけに下半身に痺れも出る。痛みはひどく踊れないほどで、自分の身体とどう向き合っていいかわからない。この身体を抱えてこの先どうやって生きていったらいいのだろう、と絶望的な心境です。

NDTには専属の主治医と外科医、マッサージ師、リハビリを兼ねた治療師が2人と、他に整体師やトレーナーも数名いて、7人ほどのメンバーがチームになってダンサーの健康やメンタルを支えています。またカンパニー内には治療室のほかにジムとサウナとプールが完備され、ダンサーは自由に使って身体を整えることができるようになっています。ただ私の腰痛はもはやそこでどうにかできるというレベルのものではなく、専属医も“治療法は特にない”と言います。

腰痛の原因は腰椎のすべり症でした。これはなりやすい要因があるらしく、下半身と背中の強さのバランスの悪さもそう。また一度なるとなかなか完全には治りにくいということも知りました。医者がダメならとカイロプラクティックにも行ってみたものの、治るどころかますますひどくなるばかりです。

ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(19)につづく。

 

インフォメーション

 

新国立劇場『ダンス・アーカイブ in Japan 2023』
2023年6月24日・25日
https://www.nntt.jac.go.jp/dance/dancearchive/

貞松・浜田バレエ団
『ベートーヴェン・ソナタ』
兵庫県立芸術文化センター 
2023年7月16日・17日
http://sadamatsu-hamada.fem.jp/sche.shtml

神奈川県芸術舞踊協会
『モダン&バレエ』
神奈川県民ホール 
2023年10月28日
https://dancekanagawa.jp

<パフォーマンス>

中村恩恵カナリアプロジェクト 
沈黙のまなざしSilent Eyes
世田谷美術館 
2022年12月22日〜2023年3月21日
https://www.setagayaartmuseum.or.jp/event/detail.php?id=ev01011

<ワークショップ>

神奈川県芸術舞踊協会主催研修会
ダンスワークショップ
2023年3月19日
https://dancekanagawa.jp

中村恩恵 アーキタンツ コンテンポラリークラス
毎週水曜日 15:45〜17:15
http://a-tanz.com/contemporary-dance/2022/10/31153428

中村恩恵オンラインクラス
土曜日開催。詳しくは中村恩恵プロダクションへ問合わせ
mn.production@icloud.com

<オーディション>

(公社)神奈川県芸術舞踊協会主催公演 『モダン&バレエ 2023』
中村恩恵作品 出演者オーディション 2023 年 3 月 21 日開催
2023 年 10 月 28 日上演 「モダン&バレエ 2023」の出演ダンサーをオーディションで募集。
https://dancekanagawa.jp/

 

プロフィール

中村恩恵 Megumi Nakamura
1988年ローザンヌ国際バレエコンクール・プロフェッショナル賞受賞。フランス・ユースバレエ、アヴィニョン・オペラ座、モンテカルロ・バレエ団を経て、1991~1999年ネザーランド・ダンス・シアターに所属。退団後はオランダを拠点に活動。2000年自作自演ソロ『Dream Window』にて、オランダGolden Theater Prize受賞。2001年彩の国さいたま芸術劇場にてイリ・ キリアン振付『ブラックバード』上演、ニムラ舞踊賞受賞。2007年に日本へ活動の拠点を移し、Noism07『Waltz』(舞踊批評家協会新人賞受賞)、Kバレエ カンパニー『黒い花』を発表する等、多くの作品を創作。新国立劇場バレエ団DANCE to the Future 2013では、2008年初演の『The Well-Tempered』、新作『Who is “Us”?』を上演。2009年に改訂上演した『The Well-Tempered』、『時の庭』を神奈川県民ホール、『Shakespeare THE SONNETS』『小さな家 UNE PETITE MAISON』『ベートーヴェン・ソナタ』『火の鳥』を新国立劇場で発表、KAAT神奈川芸術劇場『DEDICATED』シリーズ(首藤康之プロデュース公演)には、『WHITE ROOM』(イリ・キリアン監修・中村恩恵振付・出演)、『出口なし』(白井晃演出)等初演から参加。キリアン作品のコーチも務め、パリ・オペラ座をはじめ世界各地のバレエ団や学校の指導にあたる。現在DaBYゲストアーティストとして活動中。2011年第61回芸術選奨文部科学大臣賞受賞、2013年第62回横浜文化賞受賞、2015年第31回服部智恵子賞受賞、2018年紫綬褒章受章。

 

 

 

 

 

 

 

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