dancedition

バレエ、ダンス、舞踏、ミュージカル……。劇場通いをもっと楽しく。

ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(34) 

ネザーランド・ダンス・シアター(NDT)でイリ・キリアンのミューズとして活躍し、退団後は日本に拠点を移し活動をスタート。ダンサーとして、振付家として、唯一無二の世界を創造する、中村恩恵さんのダンサーズ・ヒストリー。

日本以上!? 熱心なオランダの教育制度

37歳のとき、日本に帰国しました。18歳でフランスに行ったので、日本で暮らすのはほぼ20年ぶりです。ちょうど桜が咲くころでした。それまで帰国するのは夏や冬の長期休暇と時期が決まっていて、こんなに桜はきれいだったんだと、日本の四季のうつくしさを改めて感じました。

日本に帰ってきた一番の理由は、やはり子どものためでした。オランダは4歳から教育がはじまりますが、そこに向けたいてい2歳半からプレスクールに通います。そして9歳になると子どもの学力をはかり、その子が将来社会を変革する職業につくか、社会のリーダーとなるか、もしくはそれを下支えする労働につくか、その先の最終学歴に向かって大きく道がわれていく。いわば親の努力によって、早くも子どもの人生の方向性が決められてしまいます。

オランダ人なら当然知っているようなそれらのことも、外国人の私は知識が乏しく、動き出したのも娘の教育がはじまる直前になってからでした。いろいろな小学校へ見学に行きました。オランダの小学校は規模が小さく、それぞれが違い、それぞれ独自の方針を明確に打ち出しています。

私の住まいは有色人種が多い地域とオランダでも裕福な人たちが住んでいる場所のちょうど境目にありました。近所に落ち着いた雰囲気の小学校があり、そこへ見学に行くと、“もし有色人種の子どもがいじめられても学校は何もできません”と言われてしまった。オランダもそういうことを言われる国なんだと、カルチャーショックを受けました。NDTという国際的なカンパニーに長くいたので、それまで人種の壁を感じたことはありませんでした。結局娘はズワルトスクール(ズワルト=黒の意味。有色人種用の学校)に入学するよう手配しています。

学校説明会にも参加しましたが、戸惑うことが多々ありました。日本人の私の感覚とは教育に対する価値観があまりに違って、“こういう方針ですからこうしてください”と言われることが、日本では絶対にしないでくださいということだったりする。例えば休憩時間の過ごし方ひとつにしてもそうで、日本と違って学校の外へ自由に出てもいいと言う。オランダ語はだいたいわかるつもりでいたものの、私の語学力が足りないせいで間違って理解しているのかと不安になってしまいます。

娘はオランダの託児所に入れていたので、当時はオランダ語が母国語になっていました。娘に「この言葉どういう意味?」とオランダ語について聞かれても、私にはよくわからないことがある。けれど隣のおじさんに聞くと、「それはこういう意味だよ」と教えてくれる。母親の私はわからないのに、隣のおじさんには通じてる。それが母親としてとてもショックで、さらに不安が増していきました。

やはり日本で、自分の知っている環境で、子育てがしたい。子どもが私と同じ日本語を話し、日本語が読め、書けるようにしたいと考えた。子どもが4歳になるのを待って、日本に戻ってきました。やはり子どもが産まれていなかったらまだ向こうにいたと思います。

娘との距離感を感じて

保育園に入れるつもりでしたが、当時は待機児童が多く、結局保育園には入れませんでした。家の近くにモンテッソーリ教育で子どもを指導しているインターナショナルの幼稚園があって、まずはそこに娘を入れています。いきなり日本の環境に入れてカルチャーショックを受けないようにとの配慮でしたが、娘にとって英語ははじめてだったので、やはり苦労もあったようです。ただオランダ人の母親を持つ男の子がひとりいて、彼が助けてくれたことで娘も少しずつ新しい環境に馴染んでいきました。

小学校は横浜の公立の学校に入学しました。小学校に入るころになるとほかの子どもたちはすでに平仮名が書けるようになっていましたが、インターナショナルスクールに通っていた娘にとって、日本語を使うのは主に家の中で私と話すときくらい。少し出遅れてのスタートだったかもしれません。

けれど子どもというのは適応能力が高いもので、日本の教育環境のなかで、娘も早々に日本人の感覚に染まっていきました。ところがそこで、オランダにいる娘の父親がパニックになってしまった。日本の学校に通ううち、英語が通じなくなり、ハグやキスといったヨーロッパ人にとって当たり前のコミュニケーションも難しくなってきた。娘との距離を感じ、どう接していいかわからなくなってしまった。価値観の違いというのは親にとって切なく、父親の希望で小学校5年のときイターナショナルスクールに転校しています。

インターナショナルスクールは高校までありますが、娘が通っていたのは中学3年生まででした。ティーンネイジャーにさしかかるころというのは微妙な時期で、いろいろなことが重なってしまった。まず仲のいいお友だちが海外に越したことで、人間関係のちょっとした問題が起き、学校に行きにくくなってしまった。それがきっかけかご飯が食べられなくなり、心身の調子が悪い時期が続きました。

娘が通っていたインターナショナルスクールはとても厳しく、一期に6日休むと留年になってしまいます。さらに授業に一分でも遅くれると一回遅刻とカウントされ、それがたまると欠席扱いになるなど、細かくルールが決められていました。

私も娘の父親も英語で日常会話が話せればいいという程度の感覚でインターナショナルスクールに入れたものの、娘の通う学校はエリートを目指すような方が多く、先生も親御さんもみなさん教育熱心です。高校に入るためのディプロマを取る段階になると、信じられないほど膨大な量の宿題が毎日課されます。休むと当然勉強も遅れ、一つ一つ追試をしないと単位がもらえません。

娘はいつも追われている状態で、でもなかなか身体が戻らずそこについていくのが難しい。このままでは先が見えず、何か別の道はないか探しはじめました。

 

ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(35)につづく。
 

 

インフォメーション

 

新国立劇場『ダンス・アーカイブ in Japan 2023』
2023年6月24日・25日
https://www.nntt.jac.go.jp/dance/dancearchive/

貞松・浜田バレエ団
『ベートーヴェン・ソナタ』
兵庫県立芸術文化センター 
2023年7月16日・17日
http://sadamatsu-hamada.fem.jp/sche.shtml

草刈民代プロデュース
『Infinity Premium Ballet Gala 2023』
2023年7月29日・31日
オーバード・ホール(富山公演)
新宿文化センター(東京公演)
https://classics-festival.com/rc/performance/infinity-premium-ballet-gala-2023/

横浜能楽堂 
『芝祐靖の遺産』
2023年8月5日
https://yokohama-nohgakudou.org/schedule/?cat2=7

神奈川県芸術舞踊協会
『モダン&バレエ』
神奈川県民ホール 
2023年10月28日
https://dancekanagawa.jp

<クラス>

中村恩恵 アーキタンツ コンテンポラリークラス
毎週水曜日 15:45〜17:15
http://a-tanz.com/contemporary-dance/2022/10/31153428

中村恩恵オンラインクラス
土曜日開催。詳しくは中村恩恵プロダクションへ問合わせ
mn.production@icloud.com

プロフィール

中村恩恵 Megumi Nakamura
1988年ローザンヌ国際バレエコンクール・プロフェッショナル賞受賞。フランス・ユースバレエ、アヴィニョン・オペラ座、モンテカルロ・バレエ団を経て、1991~1999年ネザーランド・ダンス・シアターに所属。退団後はオランダを拠点に活動。2000年自作自演ソロ『Dream Window』にて、オランダGolden Theater Prize受賞。2001年彩の国さいたま芸術劇場にてイリ・ キリアン振付『ブラックバード』上演、ニムラ舞踊賞受賞。2007年に日本へ活動の拠点を移し、Noism07『Waltz』(舞踊批評家協会新人賞受賞)、Kバレエ カンパニー『黒い花』を発表する等、多くの作品を創作。新国立劇場バレエ団DANCE to the Future 2013では、2008年初演の『The Well-Tempered』、新作『Who is “Us”?』を上演。2009年に改訂上演した『The Well-Tempered』、『時の庭』を神奈川県民ホール、『Shakespeare THE SONNETS』『小さな家 UNE PETITE MAISON』『ベートーヴェン・ソナタ』『火の鳥』を新国立劇場で発表、KAAT神奈川芸術劇場『DEDICATED』シリーズ(首藤康之プロデュース公演)には、『WHITE ROOM』(イリ・キリアン監修・中村恩恵振付・出演)、『出口なし』(白井晃演出)等初演から参加。キリアン作品のコーチも務め、パリ・オペラ座をはじめ世界各地のバレエ団や学校の指導にあたる。現在DaBYゲストアーティストとして活動中。2011年第61回芸術選奨文部科学大臣賞受賞、2013年第62回横浜文化賞受賞、2015年第31回服部智恵子賞受賞、2018年紫綬褒章受章。
 
 
 
 
 
 

 

-コンテンポラリー