金森穣&井関佐和子に聞く、退任発表の真意とNoismの行方
退任意向発表の理由に、金森さんが打診しつつ、通らなかった4つの条件を挙げています。なかでも重視されているのが、「2期10年で辞めざるをえないレジデンシャル制度」の問題。2019年にNoism継続問題が出た際に生まれた制度です。
金森>この制度にはもともと自分自身納得していたわけではなくて、当時からおかしいと思っていました。というのも、自分も含めNoismのメンバー、スタッフの誰の話も聞かずにこの制度はできあがった。有識者と新潟市でどんな話し合いがあり、そこに新潟市芸術文化振興財団がどこまで関わっていたのか、Noismにとってはわからないことが多すぎる。どういう経緯でどの時点で誰の権限で決まったかが見えない。我々としては、きちんと情報を開示してほしい、という想いがあるんです。
2021年に、上限2期10年の制度が決まったと聞かされたとき、「だったら自分は辞めます」と伝えました。けれど「あなたが辞めるのならNoismはなくなります」と言われ、その時は致し方なく続けようと決めた。自分の任期中に、制度の抱える問題を改善するつもりでいた。「もし1期目で変わらないなら、最初の5年で辞める」と言い続けてきました。
“2期10年を上限とする”という期間が持つ意味は何なのでしょう。そこに対する説明はありましたか。
金森>説明はないですね。もともと自分も舞踊家個人としての契約は毎年交わしていましたが、Noismの活動自体は覚書もない状態で、「ではあと3年はやりましょう」という感じで更新を続けてきた。けれど、有識者から新潟市と財団に対して、それではよくないのではないかという指摘があり、「きちんと契約する必要がある。それも3年ではなく、最低でも5年くらいは見据えて活動できないと、芸術監督としても実現できないことが多いだろう」という意見が出たそうです。それに対して、市が上限を2期10年までと決めた、ということをしばらく後に聞いています。しかしその根拠は聞いていないんです。
1期5年とするのはいいとしても、その間の実績を見て更新を決めていくのが普通ですよね。たとえ実績が良かったとしても10年がマックスです、という制限をなぜ設けたか、その根拠が全くわからない。ヨーロッパを参考にしたのか、いずれにしても、どうやって導き出したという根拠が明確ではないんです。例えばドイツには任期で芸術監督が変わる舞踊団もあるけれど、劇場付属の舞踊団自体がまったく別の団体に入れ替わるわけではないし、前提となる背景が違う。国内でも、任期はあっても、その上限を設けているところはほとんどないと思います。それに、最大2期10年までというのは、プロデューサーや館長を想定した制度であって、舞踊団ごと入れ替わるなんておかしい。どんなビジョンに基づいた制度なのかが見えないんです。そして何より、なぜこれが変えられないか、現場で働いている人と議論すらしようとしない理由がわかりません。
2つ目が、「レジデンシャル舞踊団として専用スタジオを有していないこと」でした。
金森>NoismはいつもりゅーとぴあのスタジオBで稽古をしています。10ヵ月間は優先的に利用できるとなってはいるけれど、優先であり、専用ではない。これを20年以上続けてきた。
井関>1年のうち使用できるのが最大10ヵ月です。しかも、シーズンのはじめに前もって使用する日程を可能な限り決めなければいけません。一度決めると、もしNoismに外部から突然オファーがきて、スケジュールを調整し直したいとなっても、その期間に一般貸出しが入った場合は変えられない。
金森>あらゆることがそう。机上で数字だけを見て制度をつくっているから、こうなってしまうのではないかと思います。Noismの活動初期に、劇場で働く財団職員とのバランスも見ながら、舞踊家の労働環境の整備として自分が提案したのが、隔週2日休み、夏の長期休暇、冬に短期休暇を取る、という仕組みでした。これを合算すると、おおよそ年2ヵ月分は休暇にあてる計算になる。たぶんそういうことも参照して、10ヵ月の優先利用という制度をつくっているのではないかと思います。それも今までのNoismの活動を元にして決めているだけだから、Noismが異なる活動形態、例えば年に11ヵ月間活動していれば、そうなったかもしれない。
いずれにしても、そもそも行政が文化政策として舞踊団を立ち上げたわけではなくて、その背景を認識しないまま制度を後から付け加えているからこうなってしまう。これはパイオニアとしてのNoismの宿命だし、仕方ない部分がある。けれど自分としては、新潟発の、他の自治体でも応用可能な活動として、制度を生み出したい。そのためには21年活動してきた舞踊団の意見を聞くべきだと思うけれど、数年で変わってしまう行政の担当者が、ただ数字だけを参照して自分たちで勝手に決めてしまうから、現場と制度に齟齬が生まれる。これってNoismに限らず、どこでもよくある行政の問題ですよね。
劇場が専属舞踊団を抱えているのに、スタジオが専用でないということで舞踊団が苦労している。同時に、舞踊団が優先して使うからスタジオが使えないという市民の苦情もある。それらの対処を、劇場を運営する財団も新潟市も根本的にはしてこなかった。そこが一番の問題だと思っています。つまりこの問題は、ひとりの芸術監督の、あるいはひとつの舞踊団の個別の問題じゃなくて、ひとつの地方自治体における劇場文化政策の問題なんですよ。
3つ目が「年々増えていく事業数に対して財団職員の人数が増えない」問題、4つ目が「外部スタッフに依存しなければ継続できないレジデンシャル事業」の問題です。
金森>現在の制度になって、これまでよりも一層地域活動を充実していく必要が出た。そのほかにもいろいろな要望に応えていくためには、人材が必要になる。けれど財団の担当職員は増えないから、契約スタッフを増やしてやりくりをすることになる。Noismの運営予算は変わらないのに、人件費がどんどん膨らんでいるのが現状です。財団が担当職員を増やしてくれないことには、もう立ち行かない、というのがリアリティ。舞踊企画課の財団職員は、課長と、制作事務、舞台担当の3人だけ。それ以外の現場の制作、広報など5人のスタッフはみんな契約です(※2026年3月末現在)。
財団の舞台スタッフだけでは舞台がつくれない。それでレジデンシャル制度と言えるのか。外部スタッフにずっと依存し続けてきたけれど、持続可能な劇場文化として未来に残していくためには、人材は財団の中で育てていかなければいけないし、いつまでも外部の個人に依存していてはいけないと思うんです。
これらの4つは、ある意味このレジデンシャル制度の抱える課題で、それをあらためて指摘した形です。
金森さんの中で、今回は要望が受け入れられるのではないか、という期待感はあったのでしょうか。
金森>難しいけれど、せめてひとつ目の任期上限撤廃くらいは考えてもらえるのではないか、という気持ちはありました。もちろんすぐに撤廃しましょうとなるとは思わない。だけど、もう一度議論しましょうと言ってほしいという期待はあった。スタジオもそう。財団職員増の要望は、財団の成り立ちとか、市の指定管理の仕組みとか、いろいろなことが絡んでくるから、簡単なことではないというのはわかっています。でも、未来のためには変えなければダメだということで訴えてきた。市と財団に対して出した要望書に関しては、文章として出す前に、財団の支配人・副支配人とは何度も何度も交渉を続けてきているんです。最終的に、財団から市長に話をあげる前に再度要望を聴かせてほしいと言われたので、あのような形で要望書にまとめました。これも出す前に、佐和子と山田勇気、主要スタッフに見せています。手順は踏んできた。だからわがままにひとりで暴走しているわけではなくて。なんなら、今まで「もう無理じゃない。もうやめれば?」って傍で1番多く言っていたのは佐和子だから。
井関>穣さんが言うように、そんなに簡単ではないということは理解しています。でも私自身正直なところ、国際活動部門芸術監督として、劇場専属舞踊団の運営ということを考えたら、この4つだけでは足りないのではないかと思っています。これが最低限の要望で、むしろこれがスタートというくらい。これがのまれなければ退任すると穣さんが言ったのは、これをいずれ実現していくつもりで改善していくことが最低限の条件で、己の進退をかけて訴えているんだという意思をすごく感じました。穣さんの芸術総監督としての判断だから、引き止めたり、考え直した方がいいとは言いませんでした。穣さんが言っていることが全て理解できるから。
メディア発表は昨年12月28日でした。このタイミングになったのはなぜでしょう。
金森>2025年の春からずっと交渉を続けてきて、クリスマス休暇に入る前には結論を出してほしいと伝えていたけれど、結局回答が来たのは休みに入ってから。しかも書面での連絡でした。なので、あのタイミングでのメディア発表になった。記事が出る前に、メンバーには伝えています。これから記事も出るからいろいろ聞かれると思うけど、わからないことがあったらなんでも聞いてくれていいし、新年になったら説明するから、と連絡して。それ以前に、任期上限2期10年という制度ができた時点で、「自分は5年しかやらないから」とみんなには伝えていたし、ことあるごとに言ってきた。
井関>メンバーのみんなも冷静に受け止めていましたね。ただ穣さんの発言に対して、市や財団からどんな返答が来るのか、それによって次の展開があるのだろうと、たぶんみんな思っていたでしょう。だから、財団のあの発表には驚いたし、ちょっと待ってください、と思いましたね。
「金森監督への感謝と、そのレガシーを引き継いでいく決意を込めて」と題し、りゅーとぴあが公式ウェブサイトで声明を発表しました(参照資料)。金森さんの退任意向発表の記事が出た翌日でした。
井関>私はこれをsnsで知りました。誰かがアップしたものがたまたま流れてきたんです。「あれ、これ終わったってことですかね」と穣さんに見せて。何も理解できなかった。悔しいという以前に、本当に意味がわからなかったですね。
金森>自分のところには、「これを出しました」という事後報告のメールが来ました。それに対して「真意を伺わせていただけますか」と返信したら、長文のメールが返ってきて。「金森さんのレガシーを我々なりに引き継いで……」と、あの声明文のような内容でした。もうこれは終わったんだな、とそのときに思った。もう財団との交渉は無理だなと。ここからは新潟市との闘いになるんだなと。
井関>「あなたの意見を尊重します」「金森さんが辞めたいから辞める」という方向に進んでいるのが1番やるせないし、カンパニーとしてそれはダメだと思う。これが日本ではじめてで唯一の劇場専属舞踊団の終わり方なのかと。
金森>金森穣がいなくなった場合Noismはどうなるのか、という話はずっと財団としてきました。そのなかで、「金森穣がいなくなった後もNoismを続けるには、誰を芸術監督にしたらいいか」と聞かれ、「(今は)井関佐和子しかいないでしょうね」と伝えています。ただ、もし自分が辞めて別の場所で拠点を設けたら、佐和子はそっちに行きたいと思うかもしれない。すると「金森さんがいなくなったら井関さんもいなくなる、そうなるとNoismはなくなりますね」となった。なんとかして金森穣で継続できないか、あるいは井関佐和子で継続するためにはどうすればいいか、あるいはもっと他にも若手が育って引き継いでいくためにはどうしたらいいか、とは考えていない。彼らはこれで終わってもいいと思っているんでしょう。だから佐和子にも直接聞いていないし。俺は佐和子本人に直接聞いてください、と言ってきたんですけどね。
新潟市が21年投資し続けてきたこの文化活動、芸術活動を、そんなにあっさり終わらせていいのか。そもそもこんな制度でいいんですか、と言いたい。客観的にみても、この国で新しい劇場文化政策として21年間の実績を残してきたことを考えると、金森穣個人の退任で、そんなに簡単に辞めちゃダメでしょ、というのが今の気持ち。例えば、「金森さんが要求している制度の改善を検討する。だけどそのためには、いろいろ反対意見もあるので、金森さんには退任していただけないか」と言われたとする。もしそうなれば、自分は辞めてもいい。進退をかけているのは、後世に残る制度の改革のためであって、自分自身の活動継続のためじゃないから。けれど、自分が何を要求しようが、「それはあなたの要望であって、それは受け入れられないから、あなたには辞めてもらうしかない」となってしまう。金森穣がはじめて、金森穣がやり続けて、行政として制度もつくってみたけれど、結局金森穣がそれに反対して終わった、という図式になっている今の状況が1番歯がゆい。
井関>穣さんにはメールが送られてきたけれど、私たちNoismのメンバーやスタッフには何も話はありませんでした。だけど私たちはそれぞれ個別に財団と契約をしている身です。財団側になぜあの文章を出したのかきちんと説明してほしいと訴え、その後話し合いの場を設けています。りゅーとぴあの支配人と副支配人、穣さんを除くNoismメンバーとスタッフが参加しました。そこで、「私たちはあの文章を見てすごく悲しかった」と伝えました。要望を実現していく確約は取れなくても、課題の共有と、その改善に向けて取り組んでいく姿勢があれば一緒に進んでいけるのに、私たちとは何の話し合いもなくあの文章を出し、可能性を排除した。これまでもNoismは何の確約もなかったけれど、希望や野望に向かって、みんなで進んできた。それを少しずつ形にして実績を積んでここまでやってきたのに、「約束できないからごめんなさい」で終わってしまう。
金森>Noismをどうやって存続させるかという問題と、この国に劇場文化政策としての専属舞踊団をどう根付かせるかという闘い。この2つを同時に行っている。しかもその両方を、ひとりの人間に担わせようとしている。運営している財団がその構造の問題を認識していない。さらに言えば、専属舞踊団の芸術性や運営どうこうの問題ではなく、芸術文化を振興する財団そのものの抱える課題があるし、劇場文化という枠を超えた新潟市の文化行政の課題がある。だからややこしい。我々がNoismのことだけ主張していたらわかりやすいのだろうけど、そうではない。その構造が、外側から見るとよくわからない。
この制度が現状どのようなもので、どんなビジョンのもとで何をめざしているのか、その運営の実態はどうなっているのか、外からみてもわからないから、金森穣がまたわがまま言って辞める、となっている。だから、こんなに恵まれているのに何を言ってるんだとか、Noismなんていらないよとか、Noismをなくして福祉や他の公共事業に投資したらいいとか、今問われている課題とは論点のズレた意見が出てくる。Noismを無くしても、財団は何らかの劇場専属舞踊団を続けることになっているけれど、それは伝わっていないんじゃないかと思う。現時点では、どのような舞踊団を立ち上げようとしているのかの説明はないけれど。
Noismに費やされている年間約4,700万円という市の予算は、Noismのために新たに用意されたものではなく、Noism設立前は外部から上演作品を購入する資金に使われていたと聞いています。
金森>Noismがはじまる前はそうだったし、もっと多くの予算を外から作品を買うために使っていたと聞いています。今はレジデンシャル制度をつくったから、今後も外から作品を買うのではなくて、もしNoismがなくなってもりゅーとぴあは何かしらのレジデンシャル事業を展開することになるはずです。
ただ、新潟市に限らず、今は各地の劇場で予算がどんどん減って厳しくなっている。そこまで訴求力のあることが簡単にできると思わないし、その活動内容によっては、新潟市からも予算削減を言い渡されることもあるでしょう。加えて、文化庁からもらっている予算も別にあるので、そこで展開される事業を文化庁がどう評価するかによって、ガバッとその補助金が減る可能性は大いにあると思います。全国各地からNoismのことを支援してくださっている活動支援会員からの支援金や寄付金もそうです。
Noismは今どういう状況ですか。
金森>5月の黒部での野外公演と、6〜7月の『私は海をだきしめていたい』と改訂版『春の祭典』に向けて、毎日リハーサルをしています。ただ、2027年の活動については保留。
井関>取り乱している人は誰もいないし、日々クリエーションをして、目の前のことと向き合っています。だからと言って、作品のことだけに集中して先のことは見て見ぬふりではなくて、ことあるごとにみんなで話もしています。どうしてこんな状況になってしまったのだろうと思うけれど、同時に、メンバーひとりひとりがこの状況に直面しているのは重要なことだとも思っていて。今までは穣さんがずっと前に出て闘って、芸術監督や一部のスタッフだけしか知らなかったことがたくさんあった。あえてそれを見せないようにしていたところもあります。みんなも「俺は闘っているんだ」という穣さんの言葉の端々でなんとなくはわかっていても、実際に何と闘っていたのか、どんな人たちと協議して、どれだけ話が通じなかったり、落胆したりもしたのか、今みんな身をもって感じている。これはひとつポジティブな部分かもしれません。
仮に、新たな舞踊団がレジデンシャルになったとします。その場合、スタッフも入れ替えになるのでしょうか。
金森>それは個人の意志。今の支配人・副支配人がりゅーとぴあに来たときにはもうNoismがあって、すでに今の評価が確立されていました。だから、彼らにとってはそれが当たり前になっている。それを維持し続けることがどれだけ当たり前ではないかということが、本当の意味では想像できないから、誰でもできると思っているかもしれません。
誰か次の芸術監督を招いたところで、メンバーをひとりひとり集めるところからのスタートとなります。かつ、上限は10年です。
金森>しかも今の制度だと、新潟市に居住しなければいけないという縛りが付く。国際的な活動をしていくことを考えたら、芸術監督もそれなりの人でなければいけない。長年やってきた東京等での地盤を捨てて、新潟に移住してきても、10年でまた引き上げなければいけない。そうなると、東京でやりつつ新潟でもやる、という2拠点になる可能性が出てくる。それでは他の劇場がやっていることと同じですよね。何のために新潟でやっているのか、新潟の文化政策の独自性はなんなんだということが問われる。
井関>日本でレジデンスアーティストというと、長くても数ヵ月程度の短期滞在型がほとんどなので、行政の方たちにとっては、レジデンシャル制度に基づいてやる活動も、その期間がただちょっと伸びただけという感覚でしかないのかもしれません。自分たちの作品創造のためだけではなくて、その地盤をつくるところから、根本的にこの国の芸術文化のあり方を変えようとして活動してきたのだけど、あまり理解されていないのかもしれない。この国には前例がないから余計にそうなんですけど。
今回の存続問題は、Noismの問題に限らず、劇場専属舞踊団を日本から消滅させてしまう危険を孕んでいます。
金森>地域や国家、文化という文脈で、劇場専属舞踊団にどんな価値があるかがなかなか理解してもらえない。結局、持続可能な文化をつくるという発想が日本人には希薄だから。基本的にスクラップ&ビルドで、行政には独自の文化を育てていこうという土壌がない。民間レベルで、一子相伝という徒弟制度でしか成り立ってこなかった。それは今も変わらず舞踊界では根強く残っている。だから、金森穣の闘いの無謀性というのは認識してはいるけれど。今、地方都市を拠点に世界と勝負している舞踊団が、この国からなくなりつつある。Noismが今後どうなるのか、それはNoismの作品が好きかどうかということとは別に、舞踊関係者にはもちろん関係ある事柄だけれど、地方自治体が東京に依存せずに、どうやって独自の文化を創造していけるかの話でもあるんですよね。
井関>この国では、プロフェッショナルな舞踊家のあり方がまだ確立されてない。ずっと先の日本で、職業は舞踊家です、というのが当たり前になるのが理想です。舞踊家という職業が、社会的にも経済的にもきちんと地位を確立できること。遠い未来の舞踊家が、この国の歴史を振り返ったとき、そのためにあの人たちは闘っていたんだな、となればという想いがあって、今私たちはここで頑張っている。それを新潟だけではなくて、全国に広めようとしてきた20年でした。けれどどこにも派生しない。それは、ここで私たちが向き合い続けてきた問題は、世間では問題と認識されておらず、誰もこの問題にきちんと向き合ってこなかったからなのではないかと今は思っています。Noismの消滅、それは舞踊家たちの未来が閉ざされようとしていることだと思っています。金森穣個人の問題ではないということを、世の中の人に知ってほしい。
金森>金森穣とNoismが直面している闘いは、この国の未来に向けた闘いだし、若者たちが魅力を感じる街づくり、充実した芸術活動ができる環境を後世に残すための闘いだということは、知ってほしい。舞踊家に限らず、この国では芸術は「好きでやっていること」だと思われているから、若い芸術家たちは厳しい環境で活動しているのが普通だけれど、彼らが少しでも充実した活動ができるようにと思って闘ってきたし、今もまだ闘おうとしている。願いはシンプル。才能と情熱のある芸術家が育ち、彼らが集中して活動していけるようにしたい。それだけだから。
シンプルで、大きなテーマです。
金森>それくらい大きなことに闘いを挑まないと、結局今までのように、舞踊は好きな人の趣味で終わってしまうから。舞踊がただの趣味じゃないと立証するためには、避けては通れない闘いなんです。
こだわっているのは、劇場文化のインフラであって、自分自身の創作のための活動環境ではない。新潟でまずインフラを整え、そこから派生していけばと。きちんと制度をつくったら、他の自治体や国の中央に、これを新潟でつくったんですよと胸を張れる。新潟から日本を変えていく。その想いは、新潟市にも財団にも言い続けてきたけれど、なかなか理解されない。これまでも、才能ある人たちを集めて、一過性の花火をパーと打ち上げるような舞台活動は、各地でされてきた。けれど、そうではなくて、きちんと時間をかけて、持続可能な文化として、この国の新しい文化政策としていくため、制度を整えていくためには、闘いを挑まなければいけない。我々は今も変わらずまだその途中にいるんです。
※参照資料
公益財団法人新潟市芸術文化振興財団がりゅーとぴあ公式ウェブサイトで発表「金森監督への感謝と、そのレガシーを引き継いでいく決意を込めて」(2025年12月29日)
https://www.ryutopia.or.jp/news/40826/
新潟市長への要望書提出について
(2026年1月13日)
https://noism.jp/news_letterformayor_20260112/
プロフィール
金森穣
Jo KANAMORI
Noism Company Niigata芸術総監督
演出振付家、舞踊家。17歳で単身渡欧、モーリス・ベジャール等に師事。ルードラ・ベジャール・ローザンヌ在学中から創作を始め、NDT2在籍中に20歳で演出振付家デビュー。10年間欧州の舞踊団で舞踊家、演出振付家として活躍したのち帰国。'03年、初のセルフ・プロデュース公演『no・mad・ic project ~ 7 fragments in memory』で朝日舞台芸術賞を受賞し、一躍注目を集める。'04年4月、りゅーとぴあ舞踊部門芸術監督に就任し、日本初となる公共劇場専属舞踊団Noismを立ち上げる。海外での豊富な経験を活かし次々に打ち出す作品と革新的な創造性に満ちたカンパニー活動は高い評価を得ており、サイトウ・キネン・フェスティバル松本での小澤征爾指揮によるオペラの演出振付を行う等、幅広く活動している。平成19年度芸術選奨文部科学大臣賞、平成20年度新潟日報文化賞、第60回毎日芸術賞、第42回橘秋子賞ほか受賞歴多数。令和3年紫綬褒章。
井関佐和子
Sawako ISEKI
Noism Company Niigata国際活動部門芸術監督/Noism0
舞踊家。1978年高知県生まれ。3歳よりクラシックバレエを一の宮咲子に師事。16歳で渡欧。スイス・チューリッヒ国立バレエ学校を経て、ルードラ・ベジャール・ローザンヌにてモーリス・ベジャールらに師事。’98年ネザーランド・ダンス・シアターⅡ(オランダ)に入団、イリ・キリアン、オハッド・ナハリン、ポール・ライトフット等の作品を踊る。’01年クルベルグ・バレエ(スウェーデン)に移籍、マッツ・エック、ヨハン・インガー等の作品を踊る。’04年4月Noism結成メンバーとなり、金森穣作品においては常に主要なパートを務め、日本を代表する舞踊家のひとりとして、各方面から高い評価と注目を集めている。’08年よりバレエミストレス、’10年よりNoism副芸術監督を務める。22年9月よりNoism Company Niigata国際活動部門芸術監督。第38回ニムラ舞踊賞、令和2年度(第71回)芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
Noism
りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館を拠点に活動する、日本初の公共劇場専属舞踊団。プロフェッショナル選抜メンバーによるNoism0(ノイズムゼロ)、プロフェッショナルカンパニーNoism1(ノイズムワン)、研修生カンパニーNoism2(ノイズムツー)の3つの集団があり、国内・世界各地からオーディションで選ばれた舞踊家が新潟に移住し、年間を通して活動。2004年の設立以来、りゅーとぴあで創った作品を国内外で上演し、新潟から世界に向けてグローバルに展開する活動(国際活動部門)とともに、市民のためのオープンクラス、学校へのアウトリーチをはじめとした地域に根差した活動(地域活動部門)を行っている。Noismの由来は「No-ism=無主義」。特定の主義を持たず、今この時代に新たな舞踊芸術を創造することを志している。