遠藤康行『狂 -くるい-』インタビュー!
日本の若いダンサーのレベルをどう感じますか? また、日本人ダンサーに足りないものをどう考えますか?
遠藤>日本の若いダンサーたちのレベルは高いですよ。コンクールでもテクニック面だけみると10点中10点だったりする。だけど、いざ“何か作業しましょう、今までやったことのない動きでクリエイションをしましょう”となると、戸惑って動けなくなっちゃう子がほとんど。海外ではそういう部分がダンサーとして一番要求される部分だから、まるきり受け身だと置いてかれてしまうし、オーディションでも受からない。インプロビゼーションの時間を与えられたとき何が出るか、グループワークをさせられたときその関係性から何が出るかというところをみられてしまうので、オーディションでただ決まったことを正確にこなすだけでは絶対にダメなんです。日本人はそういう部分が弱い。
日本人はインプロビゼーションが苦手な人が多いけど、海外で活躍しているダンサーのなかには上手な子もいて。昨年『横浜バレエフェスティバル』に出演したカンパニー・ウェイン・マクレガーの高瀬譜希子さんなんて大得意だし、「JAPON dance project」のメンバーでもあるモンテカルロ・バレエの小池ミモザさんもインプロビゼーションでなんでもできる。彼女たちはそういう土壌で活動してるから、“何かやって”といえばぱっと出してきますよね。
ヨーロッパで活動していく上で、遠藤さんご自身はどうやってその辺をクリアしていったのでしょう。
遠藤>言われることをただ聞いているだけではダメで、“なるほどこれか”というものがわかった瞬間にどんどん吸収していく。瞬間瞬間に感じたことを実現していき、その上でコミュニケーションを取りながら結果を出していく。僕はそういうやり方をしていましたし、そうでないと難しいですよね。
僕がはじめてインプロビゼーションをしたのがウィリアム・フォーサイスの『ステップ・テクスト』。舞台前に立って説明もなしにずっと何かをやり続けるということ自体が面白くしょうがなくて、そこからインプロだったり作品をつくったりといった“何かを生み出す作業”を自分でもやるようになりました。
日本人ダンサーとして苦労した部分もあったのでは?
遠藤>言葉の面での苦労はありましたけど、ダンスの上ではさほど感じませんでしたね。僕はベルギーでコンテンポラリーをはじめましたが、あまりヨーロッパ人にないような雰囲気という部分で受け入れてもらえたと思うし、そういう意味では不利にはなってなかったというか、むしろ逆だったような気がします。フランスはヨーロッパのなかでも特に日本びいき。日本人作家も受け入れるし、日本が好きな人は多いと思います。
ダンサーとしてはもちろん、作家としても精力的に活動を続けています。遠藤さんのなかで、作家と踊り手の占める割合は?
遠藤>感覚的には振り付けが7割、ダンサーの部分が3割くらい。フェスティバルをオーガナイズしたり、エデュケーションしたりといった諸々の要素を省くとだいたいそのくらいかな。
今回『DOJYOJI+』は作家として演出振付に徹し、『KANAWA』の方には演出振付に加えて自分も出演しますが、僕としては出る・出ないに関してはどちらもアリだと思っていて。作品をつくる上で自分が必要なら踊るし、必要なければ踊らないというスタンス。ただ結局舞台人だから、舞台に上がるという作業が好きなんですよね。
作家としてやりがいを感じる瞬間とは?
遠藤>作品ができ上がった瞬間というよりは、一瞬一瞬の積み重ね。ムーブメントを組み合わせたときに今までにないニュアンスが出たり、発見することが常に喜びです。もちろん“はい、できました!”という感動とか、舞台が終わって“お疲れさまでした!”という爽快感もいいけれど、それを目標にしてる訳ではないというか。
一番の喜びは、継続している作業のなかにある。当然そこには産みの苦しみもあって、“うわー、何やってもダメだ”とか、振付の量ではなくクオリティとして“全然前に進んでないな”と感じるようなこともあります。ただそれを超えるものが日々にあればいいですよね。
舞台を通して伝えたいものは何ですか?
遠藤>作品のテーマが前提としてありますが、完成したストーリーをみせるということには全く興味がなくて、いつも舞台のなかで起きるものを投げかけていきたいと思っています。観ている人がこちら側に寄ってくること、僕らがそれらを投げ返すこと、そのコミュニケーションです。感動というと大げさだけど、僕ら自身も気持ちが動いて、お客さんも気持ちが動くような舞台にしたい。例えば“うわ、怖っ”とか“ぞくぞくする”とか、どういう動きなのかはわからないけど、いろいろ感じてもらえたらいいなと願っています。