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森優貴『Macbeth マクベス』インタビュー!

ドイツ・レーゲンスブルグ歌劇場ダンスカンパニー芸術監督の森優貴さんが、この夏日本で振付最新作『Macbeth マクベス』を発表! ダンス×文学シリーズVol.1として神戸で初演を迎え、続いて文学舞踊劇として東京公演を開催します。開幕に先駆け帰国中の森さんに、作品への想いをお聞きしました。

今回は森さんの踊りを観ることができるという意味でも貴重な機会です。芸術監督の仕事の傍ら、やはり普段からダンサーとしてのトレーニングは続けているのでしょうか。

森>東京で踊るのは3年ぶり、神戸は6年ぶりです。普段は教えることもあるし、時間が許せば一緒にクラスを受けることもあります。それ以外、例えば週に一度の監督会議の日や、新作の制作中でどうしてもリハーサルまでに準備をしておきたいとなると稽古はできなくなるけれど、常に何らかのトレーニングはしています。作品の準備のために音楽を聴き、メモを取りながらエアロバイクを漕いでみたり……。

もちろん現役のときと比べると運動量は格段に減っているし、現役を辞めた時点で筋肉が落ちていくのは当たり前。それでもトレーニングを続けているのは、ダンサーとして踊ってきた自分の身体が衰えていくのがいやだから。これはダンサー病かもしれません(笑)。それに、自分のこだわりをダンサーに伝えるためには、やはり自分が動いてみせないと伝わらないと思うんです。

 

(C) TOKIKO FURUTA

(C) TOKIKO FURUTA

リハーサルでのひとつひとつの動きに対する徹底したこだわり、緻密な作業が印象的です。

森>大味なものはつくりたくないという想いが自分の中にあって、だからどうしても細かくなってしまいます。舞踊というのは言葉がなくて、だからこそひとつひとつの動きをひと言ひと言の言葉として受け止めてもらわなければなりません。最近は世界中どこを見てもコンセプトやアイデア先行のダンスが増えているけど、僕の中ではそこに対する拒否感があって。

コンセプトありきの場合、身体から表現言語が出て観客に伝わるか疑問だし、自己満足しているだけのようにも感じます。やはり舞台をつくるには作品化しないといけないし、世界をつくらないといけない。世界にどっぷり入り込める扉を設けてあげないと、結局誰のためにやっているんだろうということになる。僕は、はっきりした言葉で表現したい。だから、手の角度ひとつから目線の角度に至るまで全てダンサーに指示します。

 

(C) TOKIKO FURUTA

(C) TOKIKO FURUTA

 

ダンサーには技術として“こうやればこうできる”というものは伝えられます。でもなるべく技術として受け取って欲しくない。言葉も文法だけで教えられるとイヤになるのと同じで、ヒアリングや会話もしたいし、むしろそちらを大事にしたい。人間がイントネーションの変化なしで言葉を喋っているかというとそうではなくて、感情と比例して話していますよね。ダンスも同じで、腕ひとつ上げるにしても何通りも上げ方があるし、スピードも何通りもあって、それが秒単位で変化していかなければいけない。もちろん最終的に身体で表現するから、論理だけではだめ。身体の感覚や感情がなければいけないし、そこはダンスの難しさ。

池上さんもそのニュアンスを掴むのが難しいと言っています。これには僕が振付家として感じ持つ主観的で微妙なさじ加減が難しいというのもありますが、国民性や受け止め方もあって。ヨーロッパのダンサーは陸続きの多文化の中で小さいころから多様な音楽や文化を見て育ち、教育上も主観的な意見や受け止め方をすごく大切にされ、それらを表現する教育法が日本の成績重視の教育と比べ重視されます。そういう環境で育つからなのか、感覚的に掴み表現するのがすごく早い。ただ“こういう感じで”と伝えるとある程度早い段階でできてしまうけど、ひとたびそれが狂ってしまうと元には戻れない。日本人の良さは、探求し、磨いていく作業力があるところ。一度掴むとブレないけれど、感覚的ではなくなってくる。面白いことに真逆なんです。

ダンスって大味になるとただの個人のストレス発散、自己満足になってしまう恐れがあるから、言語として表現しないといけない。今回は文学作品を扱う訳だから特にそうですよね。論理的に理解し、訓練をしていく。さらに+αの部分も同時進行していく必要があるから、そこの作業はすごく細かい。けれどその細かさが絶対の質になると思っています。

 

(C) TOKIKO FURUTA

(C) TOKIKO FURUTA

もうすぐ初日の幕が開きます。リハーサルの手応えはいかがですか?

森>この二ヶ月間、ドイツと日本でリハーサルを重ねてきました。池上さんと僕ではやってきた踊りやスタイル、表現の仕方も違う。その上で森優貴が話すように森優貴の言語を話せるようになる必要がある。だからすごく大変だったと思います。でもだからこそ絶対にいいものが出てくるはず。僕もこのふたりでやっていなければきっとまた全然違うものにしていたと思う。池上さんのレディマクベスと一緒に舞台に立ったとき、僕がマクベスとしてどうなるのか、自分自身すごく楽しみにしています。

 

(C) TOKIKO FURUTA

(C) TOKIKO FURUTA

 

 

-コンテンポラリー