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金森穣×井関佐和子『Liebestod-愛の死』インタビュー!

Noism芸術監督であり演出振付家の金森穣さんが、最新作『Liebestod-愛の死』を発表。創作活動25年を迎えた今、18歳のころから温め続けてきた構想のもと、振付家としての原点を改めて見つめます。開幕を前に、金森さんと副芸術監督であり舞踊家の井関佐和子さんにインタビュー。作品への想いとクリエイションの様子をお聞きしました。

『トリスタンとイゾルデ』の物語には即しているのでしょうか?

金森>音楽から受けたインスピレーションをもとにつくってはいるけれど、物語には即してない。だけど何故か物語につながってくるんです。ワーグナーが物語のためにつくっている楽曲だから、その音楽に触れた自分の魂が語るものが必然的にそうさせたのかもしれません。だから観る人が観れば、“ああ、『トリスタンとイゾルデ』だね”と思うかもしれないけれど、自分としてはそうはつくってない。

井関>オペラの日本語訳を読んでいたら、ところどころテキストと振りがかぶっているんです。でも穣さんに“テキストを意識して振付けたの?”と聞いたら、“してない”と言う。ただそのリンクの度合いがすごくて、“この人天才だな!”と思いましたね(笑)。

『トリスタンとイゾルデ』は前奏曲の構成が独特で、上に上がっていく音と下に下がっていく音が同時に同じ和音から出ているんです。その手法をワーグナーが使いはじめて、後に“トリスタンコード”と呼ばれるようになった。今ではJポップなどでも盛んに使われているらしいけど、当時は相当新しかったと思います。

幸せに向かって上がっていく方向と、死に向かって下がっていく方向の両極が一緒になってる。前奏曲の冒頭にその和音を使うことで、どちらとも取れる物語がはじまっていく。穣さんのつくった作品もやはりそうで、トリスタンコードを考えてつくった訳ではないけれど、たまたま穣さんの頭に浮かんできたものが、上がっていく音と下がっていく音を彷彿とさせる構図になっていた。それを指摘したら、自分でも“俺、天才だな!”と言ってましたけど(笑)。

金森>冗談で“俺って天才だな!”なんて言いはしたけれど、でもそれは耳を澄ましていれば受け止められるはずだし、受け止められたことが自分でもうれしくて。心でつくるか頭でつくるかの話で、ここ数年だったらいろいろ調べてまず頭でつくってた。それで最終的に感動に持っていく。今回はそうではなくて、本当に自分の感じたままにつくってる。理屈は後から付いてきた結果であり、そこで“ああ、自分は振付家なんだな”と改めて感じましたね。

もし自分に音楽からのインスピレーションで舞踊という芸術をつくる才能があるとしたら、もし振付家であるということを実証するとしたら、そういうことができなければおかしい。身体がきくきかないは別として、今は情報社会だから誰でも頭でつくれてしまう。そうではなく魂に触れるものを振りに還元するのが舞踊の原初であり、いにしえのシャーマニズムにつながる舞踊のエッセンスだと思う。もしそれが自分の中にあるならうれしいし、そういう意味でも原点に返っているような気がします。

 

撮影:遠藤龍

撮影:遠藤龍

 

クリエイション法は? やはりいつもとは違った手法を取られたのでしょうか?

金森>音楽を聴いて内側から出てくる動きでつくっているから、100%自分がつくり、出てきたものを渡していくという作業です。18歳のころは引き出しが2つくらいしかなかったけれど、今はいろいろなところを通って出てくるので選択肢は多い。ただ18歳のころの感動を42歳の自分が作品に落とし込みたい訳ではなくて、18歳のころに出会った音楽をずっと聴いてきた42歳の自分がこの音楽でつくってる。いずれにせよ重要なのは内側からつくるという部分です。

前半10分がデュオで、後半10分が佐和子のソロ。デュオとソロというのは、この楽曲から自分が受けたインスピレーションの中に必然としてあって、18歳で初めて聴いたときから漠然とそう考えてました。これは群舞じゃないと、こういう構成になるだろうなというのは薄々感じていましたね。

井関>クリエイションの最中、私はずっと穣さんの背中を見てました。こちらに背を向けて何回も音楽をかけては、何か降ってくるのを待ってるんです。そこで降ってきたものに納得してるかしてないかというのは、背中を見ている私にはよくわかる。“きた!”というのもやはりわかって、おもむろに振りむいて“これやって!”と言う。私はとりあえず、その瞬間のエネルギーを心に落としこんでいきました。

その時点ではまだ身体には入ってないけれど、穣さんの直感を受け止めるようにしてました。ただ穣さんはおもむくままに踊ったものを伝えてくるので、ソロに関してはすごくしんどくて。400m走をしているのかなっていうくらい、とにかく息が切れるんですよね(笑)。

金森>心でつくるといっても、どうしても頭がもたげてきてしまう。なかなか出てこないとなるとなおさらそう。頭の部分が“これもあるよ”“あれもあるよ”と囁き出すんだけど、“いや、違う、違う”と否定するの繰り返しでしたね。

身体的にはかなり動くし、デュオに関してはかなり技術が必要だし、かなりバレエの要素が濃くなっています。バレエ的にしようというのではなくて、たぶん自分のルーツにあるんでしょうね。もちろんワーグナーの影響もあるだろうけど、自分でも“あ、結構バレエ的なんだな、クラシックが本当に好きなんだな”と改めて気づかされて。自分の中からウワッと出てきたものがクラシックだった。でもそれはしょうがない。考えてつくっている訳ではないから。

井関>今回のクリエイションはほとんど躓きというものがなく、例えばパ・ド・ドゥがうまくできないから練習しようということはあっても、できないから辞めるということはなかった。ソロに関しては本当にパッとできて、振付をはじめてから3日で完成しました。穣さん、できた次の日に熱を出していましたよね。38度くらい出てて、結構びっくりした。

金森>いつも出るんです。ある程度のラフスケッチができると身体的にドッとくる。特に心を多めに使ってる作品は出る。今回は心しか使ってないから本当に寝込んだ。自分の一部が出ちゃった、どこかがもがれた感じでした。

 

撮影:遠藤龍

撮影:遠藤龍

 

 

-コンテンポラリー