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麿赤兒『パラダイス』インタビュー!

麿赤兒率いる大駱駝艦が、本公演で待望の新作『パラダイス』を発表! 麿赤兒を筆頭に大駱駝艦のメンバー総勢20名が集い、その作品世界を提示します。上演に先駆け、構成・演出・振付を手がける麿さんにインタビュー。作品への想いをお聞きしました。

舞台には20年選手のベテランから新人まで総勢20名のメンバーが出演します。キャリアの差がある踊り手をまとめる上で苦労を感じる部分はないですか?

麿>やはり差異は出てきますけどね。何年もいる人は共通言語というものがあるし、それなりに訓練はしてるし、パッと入れてしまう部分はある。新しい人は仕込むしかないけれど、恐れていたらいつまでたっても舞台には立てない。ただ、そんな難しいことはしていませんからね。クラシックバレエのように三歳からやらなきゃダメだというのとは違って、みんな大人になって始めてるから。

たとえクラシックバレエをやってたとしても、どれだけこの見世物の足しになるかというとなかなか難しい。ちょっとした意外性とか、かつての財産を要所要所で使ったとしても、それなら舞踏をやらなくてもいいでしょうとなる。我々の場合はそういう財産がないところから始まってるから、ある種のボトムラインを下げた分、それはそれで素人っぽいヘンなものもひとつの見世物になるような部分はありますよね。

2016年「クレイジーキャメル」(C)川島浩之

2016年「クレイジーキャメル」(C)川島浩之

麿さんが舞踏家にとって大切だと思うこと、良い舞踏家とは?

麿>クラシックバレエなんかは特に、もっと飛べとかもっと回れなんていう理想があるし、どこか肉体的な極限を求めているところがありますよね。ある意味アスリートのような部分もあるでしょう。それもまた美的価値だろうし、理想に近づくほど良いダンサーであり、良いダンサーというのがはっきりしてる。

だけど舞踏は簡単にいうと逆になる。筋肉はいらない、どこまで這いずりまわっていられるか。どちらも最終的には修練になってくるけれど、かなりベクトルが違う。立っているだけですでに踊りなんだ、生きてるだけでも踊りだよ、というところまでコンセプト的な広がりを持たせて、ある意味誰でもすぐにできますよ、というところまでボトムラインを下げた。だから、大切なのは、そういうことがわかるということでしょうね。

立っているということがわかっているか。例えば、ぼうっと立っているときにある密度をどういう風にわかっているか。それはものすごくややこしい部分ではあるんですけどね。視線というか、矢面に立たなきゃいけない訳だから、どういう風に惹きつけられるかという面は出てくる。クラシックバレエには自分との戦いみたいな部分もあるでしょうから、そこは大分違いますよね。クラシックバレエの場合はテクニックをびしっと見せて、上手くいけば拍手がもらえる。こちらはそこで転んだりすることをやってる部分があるし、むしろ転べ、転べ、というような世界。そういうことをちょっと面白がれる人というのは良いのかもしれないですね。

100mを8秒台で走る人が途中ですこんと転んだり、綱渡りをしていて糸がぷちっと切れたり、フィギュアスケートで引っくり返るのを見てワッと思ったりする。僕はそういう瞬間に世界を見ちゃう。それはもうクセなんです。彼らにとって失敗した世界というのはどういう心境なのか。くやしかったりするんだろうけど、僕らの場合はそういう部分を広げようとしてるから、大分違いますよね。

人はみな失敗する。そのネガティブな面だったりくやしいとかいう世界ではなくて、むしろそれを豊穣なものにしたいというか。まぁそれは、僕自身のコンプレックスにもよるんでしょうけど。何もできないし、人生失敗だらけだし、失敗の見本でございます、というような……。“失敗を十全に見せなければいけないですよ”という意味では、また枷になりますよね。

2013年「シンフォニーM」(C)川島浩之

2013年「シンフォニーM」(C)川島浩之

 

 

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