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麿赤兒『パラダイス』インタビュー!

麿赤兒率いる大駱駝艦が、本公演で待望の新作『パラダイス』を発表! 麿赤兒を筆頭に大駱駝艦のメンバー総勢20名が集い、その作品世界を提示します。上演に先駆け、構成・演出・振付を手がける麿さんにインタビュー。作品への想いをお聞きしました。

大駱駝艦の本公演『パラダイス』。構想の発端をお聞かせ下さい。

麿>頭の中が突然パラダイスになっちゃって、まずタイトルがぽんと出てきたんです。ただ“パラダイスとは一体何だろう?”と改めて考えてみると、これがなかなか難しい。最終的に、生き物の欲望が十全に満たされて、なおかつ調和が取れている世界なんじゃないかいう考えに行き着いた。だけどそれはムリな話で、それぞれものすごいベクトルの違う欲望がある。

他の生物は欲望もある種自然に転じていくけど、人間だけはちょっと特種で、あらゆる欲望が増大し、あらゆる方向へ向かっていく。結局のところ、人間が一番ややこしくしちゃってる。ややこしくしてしまった人間という存在のアホらしさがあり、絶望がある。

けれど、本来人間なんて難しいものじゃない。小さくなって少し欲望を抑えればいい。大きくなりたい、偉くなりたい、もっとお金が欲しい、欲しい、欲しい、欲しいばかりだからややこしい。“いらない”とはっきり思えばもっとパラダイスになる。そういう線引きが必要なんだろうけど、でもそれは止めようがない。だからパラダイスと言ったって、基本的には夢物語ですよね。

「パラダイス」(C)荒木経惟

「パラダイス」(C)荒木経惟

 

パラダイス=楽園というように、楽しげなイメージが喚起されますが……。

麿>パラダイスの語源は諸説あるみたいで、古代ペルシア語だとか、ラテン語だとか、いろいろ言われているようです。ペルシア的な歴史でいうと、壁で囲んで、自分たちだけのために作った小さなテリトリー。社会のあらゆる矛盾とは関係なく、一杯呑んで詩歌でも読んでいようという世界です。ひとつの小さな壁の中、壺の中がパラダイス。まぁ、壺中天(吉祥寺を拠点とする大駱駝艦のスタジオ)みたいなものですよ。

壺中天の場合は、色の少ない東洋的なパラダイスでしょうか。どういうことかというと、欲望というものを少し抑えた形。パラダイスの十全な欲望を全て満たそうと思ったらめちゃくちゃになりますからね。十全な欲望を抑え、仙人のように酒を呑んでワハハと笑い、空を見上げる。そして、詩歌を詠ったり、唱えたりする。東洋的な質素なパラダイスです。

ヨーロッパ的なパラダイスというと、快楽の園であったり、酒池肉林であったり、色だらけのイメージですよね。百花繚乱の理想郷とはいえ、結局はそれもムリがある。ただ今回はアダムとイブという男女が誕生する創世記的な話をちょっと入れてみようかなと思っています。こちらはヨーロッパ的ではあるけれど、それはそれでひとつの人間の観念でできたものでもあって。だけどアダムとイブは追放される訳ですよね。楽園を追放されるということは、まず最初に楽園があったということになる。知恵という欲望を満たそうとした途端に楽園を追い出されてしまう。そこがよくわからないところで、最初の定義からちょっと外れてしまう。楽園を追放されたけど、それはどういう楽園なんだという部分が、どうも僕の中でウロウロしている感じです。

パラダイスの中だけは楽しくて、でも外の世界は吹き荒れている。砂嵐は吹くし、日照りは続くし、民族同士で戦いをしていたり、大変な環境にさらされている。そうやって場所を囲って自分たちだけの世界を作るというのは少数派の願いだと思う。この壁の中は自分たちのテリトリーで、他の人には入らないで欲しいと。どちらにしても、非常に人工的なものであるのは確かですよね。しかしその壁の中で果たして十全というものが満たされるかどうか。食料はどうするんだとか、いろいろな問題が出てくるでしょう。するとやはり外へ出ていかなければいけない。どこかでひずみはあるだろうし、基本的に理想郷というのは頭の中だけのものということになるでしょう。

2014年「ムシノホシ」 (C)川島浩之

2014年「ムシノホシ」
(C)川島浩之

 

創作の過程で産みの苦しみを感じることはやはりありますか?

麿>パラダイスという言葉を付けたとたんに苦しくなりましたね。頭の中がパラダイスではなく地獄になっちゃった(笑)。だいたいその概念がわかっていないとできないんじゃないかとか、そんなのわからなくてもいいんだとか……。

パラダイスという言葉からイメージするものがみんなそれぞれあると思う。ラスベガスみたいにギラギラしたものをパラダイスだと思うかもしれないし、砂漠で旅をしてる人たちにとっては木があって水があるだけでパラダイスだということもあるだろうし、やっぱりそれは相対的な問題になる。ラスベガスをパラダイスとする価値観と砂漠の価値観みたいなものと、一瞬一瞬をいろいろ遊んでいます。

パラダイスと言えばみんなそれぞれのパラダイスを想像するだろうし、言葉だとひとことで済んでしまう。だからどうしたのと言われそうだから、わざわざパラダイスとはどんなもんかと頭をひねってごちゃごちゃにしないといけないな、というのはありますね。

十全な欲望があり、その上で調和を取るとなると、どこかで枷を設けなければならない。特に人間はそう。だけどそれはもう楽園ではないじゃないかと……。現代社会とひとつの距離感を持ちながら、調和を外して欲望だけで、ああでもないこうでもないと作っている感じです。

2016年「クレイジーキャメル」(C)川島浩之

2016年「クレイジーキャメル」(C)川島浩之

 

 

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