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川口隆夫新作『バラ色ダンス 純粋性愛批判』インタビュー。

土方巽の初期の代表作のひとつといわれる『バラ色ダンス-A LA MAISON DE M.CIVEÇAWA-(澁澤さんの家の方へ)』をモチーフに、川口隆夫が新作『バラ色ダンス 純粋性愛批判』を上演。1960年代に誕生した舞踏前夜の伝説の作が、21世紀の今どう生まれ変わるのか。構成演出振付の川口さん、ドラマトゥルクの呉宮百合香さんにお話をお聞きしました。

土方巽の『バラ色ダンス』(1965)をモチーフに作品をつくろうと考えたきっかけは? 数ある土方作品のなかで『バラ色ダンス』に着目されたのはなぜでしょう。

川口>土方の『病める舞姫』という著書を題材に、2012年から『ザ・シック・ダンサー』という作品を上演してきました。『病める舞姫』はテキスト自体がとても面白く、70年代に土方がつくる舞踏譜と関連があるともいわれています。土方は68年に『肉体の叛乱』を発表して、そこから変わっていった。土方の作品を改めて振り返ったとき、僕は70年代より60年代の彼の作品になぜか興味を惹かれて。そこから何かできないかと思ったのがこの作品をつくるきっかけになりました。

60年代の作品のなかでも『バラ色ダンス』を題材にしたのは、やはりバラ色が好きだったから。“バラ色ダンス”と言ってはいるけど、ダンスだけではなくて、ダンスとは何かということを考えさせられる。いろいろな人が関わり、ハプニング的な要素があり、いわゆる振付けられたダンスとは違うエネルギーの出し方がある。そういう意味では土方の『あんま』(1963)もそうですが、『バラ色ダンス』の方がもっといろいろな方向に開かれていて、それが面白かった。『バラ色ダンス』のあのあっけらかんとした雰囲気がすごくいいなと感じました。

今この時代にダンス作品として上演されているもの、それらに対するアンチテーゼも考えました。ここ数年コロナ禍で他者との接触や関わりが制限され、舞台と客席の間に隔たりができていた。けれど土方の『バラ色ダンス』は舞台や客席のなかにもあちこち仕掛けがしてあって、それがとてもわくわくした。それってやっぱりわくわくすることなんだなと感じた時期でもあったと思います。ハプニングも含めていろいろな方向から切り込んでいく在り方がすごく魅力的に思えたし、そういうことをしてみたいと考えました。

photo by bozzo

呉宮>『バラ色ダンス』は土方の60年代の活動を象徴するような作品なのではないかと思います。まだ舞踏という言葉が使われる前の時代で、音楽家や美術家などいろいろなジャンルが集まったごちゃまぜで猥雑な感じ。それは70年代以降の体系化されていく作品とはまた違う。コラボレーションという点では、土方のなかでも一番華やかな作品かもしれません。招待状を開くと金箔が落ちてきたりと、仕掛けもたくさんしてあって。

川口>僕らもそんなところまでできたらいいけど(笑)。よく考えてみると“バラ色”という言葉も絶妙で、最近はなかなかそういうネーミングってないなとも思う。“バラ色”ってどんな色なのか。具体的にそんな色があるものなのか……。

呉宮>“バラ色ダンス”という言葉自体は土方の中でそれ以前にイメージとしてあったようです。60年の初リサイタル『土方巽DANCE EXPERIENCEの会』で「バラ色ダンスも暗黒舞踊も」と謳っていたりと、作品名に留まらないようなイメージを持っているんですよね。

川口>“バラ色”というと、60年代、70年代が喚起されるというか、やっぱりあの時代に重なるものがある気がします。

呉宮>あのころはバラがすごくホットな時代。60年代には細江英公が三島由紀夫を撮った写真集『薔薇刑』やジャン・ジュネの『薔薇の奇跡』の邦訳、渋澤龍彦が創刊した雑誌『血と薔薇』、ピーターが主演した映画『薔薇の葬列』があって、70年代になると雑誌『薔薇族』が誕生して。

川口>ゲイセクシュアリティにどれくらいバラが重ねられてきたかはわからないけど、でもやっぱりバラっていう感じはすごくありますよね(笑)。

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創作はどのように進めているのでしょう。またそこでの呉宮さんのドラマトゥルクとしての役割とは?

呉宮>土方の作品についてどんな見方をすることができるのか、“これってバラ色的じゃない?”“これはキャンプなのだろうか?”と話をしたりと、コンセプトをつくるところから共に作業をしています。それをいざ作品にしていくときは、やりたいことが実際に具現化できているか検証をしていく。観客の視点に立ってチューニングをするのもドラマトゥルクとしての役割でしょうか。素材集めも隆夫さんと一緒にしていて、アーカイブの資料にあたったり、土方の『バラ色ダンス』に出演した笠井叡さんのご自宅へ行ってお話をお聞きしたりもしています。

川口>笠井先生の記憶のなかから何十年もの時を経て出てくる言葉を聞いていると、アーカイブ資料では見えてこないものが見えてきて、それは一番強力でした。

呉宮>インタビューや証言はテキストベースで残ってはいるけれど、やっぱりご本人の語りを直接聞くとまた違う。笠井先生は“このシーンはこうだった”と実演つきで解説してくださって、資料の見え方が変わるのを感じました。

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川口>ただ実際のところ当時の映像も一部しか残っていないので、オリジナルに忠実にしようとは考えてはなくて。いくつかのモチーフを引っ張ってくることはあるけれど、それがどんな流れでみせられていたのかというのも違いますし、そこはあまりこだわらないようにしています。

呉宮>いろいろな文脈から引っ張ってくるというのはオリジナルの『バラ色ダンス』にもあった要素で、ポスター自体も引用だらけで一種のパロディになっていたりする。本編もたぶんそうだったのではないでしょうか。当時流行っていた美術や文学などからの引用もあったようです。

川口>土方のその手法を拝借して、今引っ張り込めるモチーフやテーマ、あるいは全く関係ないアーティストを引き入れていく。するとそれによって起こる混乱がある。最初からがちがちに決めてつくっていくのではなくて、ある程度基盤ができたところに違う要素を引き込んだとき起こる大騒ぎが見たい。いろいろな窓を開いていくことで、面白さやエネルギー、新しい見方が示されるのではないかと考えています。ただそれとは別に、もう少し内側に目を向けるというか、対比のエネルギーも持っていければと思っています。

呉宮>いろいろ調べていると、土方の『バラ色ダンス』には“明るさ”という言葉がたびたび出てくるんですよね。舞踏というとおどろおどろしいイメージがあるけれど、それとはまた全然違う要素を持っていた。土方の『バラ色ダンス』は明るいイメージだった。その一方で相反するイメージを併置する土方の手法を考えると、単に明るさに振り切るだけでなく対極のエネルギーもあった方がいい。ひとつの方向だけではなく、明るさと暗さとか、両極のエネルギーを共存させるというのが、今回の作品づくりにおけるひとつのテーマでもあります。

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キャストには年齢もバックグラウンドもさまざまな顔ぶれがそろっています。

川口>三浦一壮さんが80代後半、川村美紀子さんが30代前半、藤田真之助さんと三好彼流さんが20代前半。いわゆるコンテンポラリーダンスのフィールドで活動している人ではなく、パフォーマンスアートなど違う分野で活動をしている方々を引き入れたいと考えました。

呉宮>みなさん多才なんですよね。三好さんはパフォーマンスアーティストで美術家でもあるのでボディペインティイングもでき、藤田さんは音楽もつくったり、川村さんはダンスに歌ともうマルチではかり知れない才能がある。三浦さんは40年のブランクを経て、数年前にカムバックした異色のキャリア。60年代、70年代のパフォーマンスシーンのはしりを生き、まさに『バラ色ダンス』を傍目で見ながら活動してきた方でもあります。

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昨年開催された試演会では、磔やバドミントン、大縄飛びなどさまざまなモチーフが展開されていきました。なかでも観客を巻き込んでの石膏塗りが印象に残っています。

呉宮>実は今回の作品の稽古は石膏塗りからはじまりました。石膏が身体感覚に与える影響というのは大きくて、それをみんなで体感しています。

川口>舞踏の最初の作品といわれている土方の『禁色』(1959)は黒塗りで、そこからどういう過程で白塗りになっていったか。今の白塗りにいきつく前は、石膏、との粉、小麦粉なども使っていたそうです。石膏だけだと剥がれ落ちるので、にかわなどの混ぜものをしたり、その混ぜたもので肌がかぶれてしまったり、ということもいろいろな方から聞いています。

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呉宮>土方の『バラ色ダンス』の写真を見ると、やはり普通の白塗りとは違うんですよね。「あれは石膏だった」という人もいれば、「との粉だった」という人もいたりと説はさまざまですが、おそらく石膏ではないかと考えて。

川口>石膏と水を混ぜると少し発熱するので、塗ると最初はちょっと温かいんです。けれど石膏は水分を吸ってどんどん蒸発させる性質があるので、時間が経つと熱が奪われてどんどん寒くなっていく。真冬に一時間かけてぶるぶる震えながら乾かしたこともあります(笑)。

呉宮>5月に城崎国際アートセンターでレジデンスをしましたが、そこで石膏塗りを体験するワークショップを開催しています。参加者は15人くらいいて、みなさん面白がってくださいました。昨年の試演会も最初は大丈夫かなと思ったけれど、毎日お客様が参加してくださって……。

川口>今回はどうなることか(笑)。

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本作のキャッチフレーズに“<キャンプ>の感性で染め上げる”との謳い文句が躍っています。本作で提示する<キャンプ>、そしてこの作品で目指すものとは?

呉宮><キャンプ>という言葉の定義自体すごく曖昧なんですよね。もともとはゲイカルチャーで使われていた言葉で、64年にアメリカの批評家スーザン・ソンタグが『<キャンプ>についてのノート』を書いたことで一般に広まりました。その後あまり使われなくなっていたけれど、最近になってメットガラやコムデギャルソンのショーなどで再び注目が集まるようになってきた。“キャンピー”という言葉も知られてきています。ただ60年代にソンタグが言った<キャンプ>と今の<キャンプ>は必ずしも同じではない気がします。

川口><キャンプ>はゲイコミュニティのなかから出てきた言葉ではあるけれど、土方の『バラ色ダンス』はセクシュアリティを差し引いたところですごく<キャンプ>な感じがします。とても過剰であったり、装飾が多かったりする。

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呉宮>いわゆるきれいではなく、いびつだったり、不自然だったり、どこか泥臭さがある。内面ではなく、むしろ表面の形式を押し出してしまう感じでしょうか。隆夫さんはよく“膝かっくん”という表現を使うのですが、<キャンプ>には一種の反抗の力があるんですよね。ただ楽しくて喜劇的でという方向ではなく、そういう装いで足元から崩していくパワーがある。それを今の時代どうやったらキャンプになるか。うっかりするとノスタルジーになってしまうけど、そうではなくて、今のキャンプはどうなるんだと……。

川口><キャンプ>とはこれだとひとことでは言えないけれど、60年代のあのヤバイ感じというのはすごくキャンプ性があるのではないかと思う。それに対する憧れが僕のなかにすごくあって。土方が追い求めていた暗黒は『バラ色ダンス』では「突き抜けるような明るさ」とも評されるほど、逆説的に生を肯定するポジティブなエネルギーに満ちていた。それは同時に破壊的ながらおかしみや笑いを呼び込む<キャンプ>の感性とも通じるものがあるように感じます。暗黒舞踏と<キャンプ>をインスピレーションに、現代の「明るい暗黒」をつくり出したいと思っています。

photo by bozzo

 

公演情報

『バラ色ダンス 純粋性愛批判』
https://www.rosentanz.com/

東京公演 
シアターX
2023年8月9〜11日

京都公演 
ロームシアター京都
2023年8月26・27日

那覇公演 
那覇文化芸術劇場なはーと
2023年9月2・3日

 

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