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川口隆夫『大野一雄について』インタビュー!

大野一雄の舞台映像を完全コピーするというかつてないアプローチで話題を呼んでいる川口隆夫さんの『大野一雄について』。2013年の初演から4年。世界各地での上演を経て、この秋日本で待望の再演を叶えます。舞台を控えた川口さんに、創作の発端とその経緯、作品への想いをお聞きしました。

2013年に初演を迎えた『大野一雄について』。大野一雄の公演記録映像を完全コピーするという今までにない手法に取り組み大きな注目を集めました。土方巽でも他の舞踏家でもなく、大野一雄をコピーした理由とは? 何か特別な想い入れがあったのでしょうか。

川口>創作活動を続ける中で、“内面から動きを出すという作業をしてこなかったな”という反省をずっと持ち続けてきました。いざ公演を開催する、今度こそ内面に迫る作業をしようと考えたとき、なぜだか大野一雄の名前がぽんと頭に浮かんできてーー。いつだったか川崎の岡本太郎美術館で開催していた舞踏展を観に行って、2万円する大野一雄のポスターを買ってきたことがありました。たぶんそれを買ったということは、いっぱい惹かれるものがあったんでしょうね。そのときの写真というのが『ラ・アルヘンチーナ頌』の初演のポスターで、今もウチに貼ってあります。

コピーをするということ自体、特にコンテンポラリーアートにおける文脈の中ではいろいろ問題が多くありますよね。舞踏にしてもそう。何かテーマなり振付があって、それを踊る個々人の必然性を通してダンスとして立ち上げていくところに舞踏の本質的な部分があると聞いているけど、僕はそうではないことをやろうとしている。しかも大野一雄という舞踏の原点みたいな人をそのように扱うことで挑発的なものが醸し出されてしまったり、顰蹙を買うこともあるだろうと。平たく言えば、叱られるかもしれないな、というのは想像していたところです。

ただ僕は舞踏をやってきた訳ではないし、舞踏の外にいるという立場上のメリットはある程度意識していたかもしれません。舞踏をやっている人にはちょっと手が出しにくいことだろう、というのはどこかで考えていたと思います。

タイトルが世に出回るにしたがって、初演前からさまざまな反応がありました。“一体何事だ”と言う人たちがいる一方、そういうことがやりにくい雰囲気の中でちょっとした失速感を感じていた人もいて、“よくやった、よくそこに風穴をあけた!”と言っていただいたのも事実です。

とはいえ僕も実際に大野一雄が踊る姿を観たことはないんです。ご本人にお会いしことはあります。稽古場に伺ったのと、スタジオ200のレセプションでお目にかかりました。だけどそれ以上のこと、本当の意味で彼の踊りがどのようなものなのかということは知らなかった。むしろ大野以外の若い舞踏家たちのことは比較的よく観ていたと思います。

舞踏というよりは、舞踏が始まった60年代・70年代に行われていたパフォーマンスや作品です。僕が東京に出てきたのは1982年なのでそれ以降のものにはなりますが、舞踏専門劇場に出入りしていたこともありました。アバンギャルドだとか前衛的なものが好きだったんです。いわゆる舞踏でなくてもそういう環境にはいたし、それが僕のはじまりだったところもあります。

 

川口隆夫『大野一雄について』

©Bozzo

舞台映像を完全コピーするという手法に挑戦しようと思ったのは何故でしょう。

川口>大野一雄について何かやりたいと思いつき、まずどういうアプローチにすべきか考えました。いわゆるメタダンスというか、ダンスについてのダンス、レクチャーパフォーマンスだったり、事実を並べる形にしたりと、いろいろなアイデアが浮かんだ中で、取りあえず映像を観てみよう、実際にダンスを踊ってみるのがいいのではないかということになって……。

音楽だとまず人のコピーから入ることが多いと思うし、ダンスでもクラシックバレエのように特定の振付家のレパートリーを踊るスタイルもありますよね。でもそれはきちんと残されている振付だったり決まった型をレパートリーにしている訳じゃないですか。ところが大野一雄の場合ははっきりと形であらわせる振付というものがなかった。同時に大野一雄が持っている身体、くせ、雰囲気といったものが、いわゆる振付と切り離しがたく結びついている。大野一雄というキャラクターがものすごく強いので、何が振付で何が大野一雄なのか混然としている。

これは結果的に思ったことですけど、大野はコピーし甲斐があるというか、もう本当に面白いんです。いわゆる普遍化されたテクニックというのはあまり出てこないけど、すごくいろいろな形がある。大野の場合は観ただけで大野一雄だとわかるようなダンスで、非常にキャラクタリスティックな動きなんですよね。

大野はとてもきれいな身体をしていて、手が大きくて脚が長くて、頭が小さく肩がきゅっと後ろに寄っている。それでスーツを着ればすごくかっこいいし、ドレスを着れば妖怪のようにもなる。彩の国さいたま芸術劇場で開催中の『モダンダンスから舞踏へ』展に大野の手や足型の石膏が展示されていますが、比べてみると僕の方が足は多少大きいけれど、手は僕より6〜7mm長かったようです。石膏は大野が70〜80歳代に型を取ったもので、老齢による身体の歪みだったり、指の曲がり方だとか、造形具合がものすごく面白い。それもまた“コピーし甲斐がある!”と思う要因です。

当初からこういうアプローチをしようと狙ったというよりは、どういう風にはじめるか、どこから取りかかるかということ自体が、完全コピーするということだった。とはいえそれはとても時間がかかるし、難しいし、一体それが面白いのか、どこかの時点で判断しなければいけない。とりあえず一ヶ月作業してみて、そこで誰かに観てもらおうと決めてコピーをスタートしました。

結局一ヶ月ではちょっと足りなくて、一ヶ月半くらい経ったときに大野のお弟子さんだった武内靖彦さんに観ていただきました。武内さんいわく、“上手い下手は別として、大野一雄をできる限り正確にコピーできたとしても、そこには必ず不可避的なズレ、重ならない部分がある”と。“そのわずかに重ならない部分を突き詰めれば突き詰めるほど、コピーする人間独特の消すことのできないものが本質として逆に浮かび上がってくるのでは”といわれて……。そうなのか、そうだとしたらすごく面白いことだと思い、その言葉に後押しされる形で続けていこうと決めました。

 

川口隆夫『大野一雄について』

 

大野一雄さんサイドからも協力を得たそうですね。

川口>最初は何て言われるだろうとびくびくしていたんですけど(笑)、快く協力していただいて、資料を貸してもらったり、お話を聞きに行ったり、またそこで聞いたエピソードや事実をもとに構成を調整していきました。初演のときは実際に大野が着た衣裳を何点かお借りして、舞台上に小道具のようにかけて踊っています。

初演のときは大野慶人さんも観に来てくださいました。緊張感はもちろんありましたよ。針のというのでしょうか(笑)。だけど初演のときはもう自分もテンションが上がっているので、とにかく突っ走るしかない。受け止める側にしても、“まぁやってみなさい”ということだったと思うし、それで続けていくことも許していただいているんだと思います。

舞台が終わった時のこと。客席にいた慶人さんがすっと立ち上がったと思ったら花束を壁にバンと叩き付け、花びらがばらばらに飛び散った中から、一本を拾って僕にぱっと投げてくださって……。あれはすごくうれしかったですね。

再演ではアンコールに慶人さんが大野一雄の指人形を持って出てくださって、それと数十秒間一緒に踊らせてもらいました。本当にありがたいなと思います。

 

川口隆夫『大野一雄について』

©Bozzo

 

 

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