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笠井叡 舞踏をはじめて <17>

大野一雄に学び、土方巽と交流を持ち、“舞踏”という言葉を生んだ笠井叡さん。その半生と自身の舞踏を語ります。

フライブルクからシュツットガルトへ居を移し、シュツットガルト・オイリュトミウムに入学。オイリュトミーの名門校で学び、舞踏からオイリュトミーの世界に移行していく。

シュツットガルトはドイツ有数の大都市で、フライブルクから200キロほど北に位置しています。私には手持ちのお金がなく、飛行機代だけ調達してとりあえずシュツットガルトへ向かいました。

ドイツへ行ったときもそう。私は財産というものを全然持ちあわせておらず、切り崩せるような蓄えはありません。もともとお金というのは影のように後からついてくるものだという考えで、仕事をどうしようとか、収入はどうしようと考えたことはありませんでした。お金のために何かするというのではなく、結果としてお金になればいいという感覚です。そんなことだから、いつしか経済的な問題を考えて行動するという習慣がなくなっていたようです。

シュツットガルトへ行ったときも、この先どうやって生活するかといったことは一切考えていませんでした。けれど当時のシュツットガルトは圧倒的な住宅不足で、ドイツ人ですら住む家に困っているような状況でした。外国から来た家族が住むところなどとうていありません。あちこち不動産屋を回って探したものの、どこに行っても「貸せる家はない」と言われてしまう。全くもってお手上げです。そんなとき助けてくれたのが、合気道を教えていたフライブルクの学生たちでした。「笠井がシュツットガルトで住居がなくて困っているらしい」と風の噂で聞いたらしく、あちこちあたって「ここに行けば見つかるかもしれない」という不動産屋をしらせてくれた。

早速その不動産屋を訊ねると、店主が「アジアの人たちを助けることに生涯を注いでいる不思議な夫人がいる。ブサックさんというたいそうお金持ちの夫人で、彼女なら部屋を貸してくれるかもしれない。彼女に聞いてみるといい」と言い出した。半信半疑でいたけれど、いざブサック夫人に事情を話すと、あっさり「私のマンションを使いなさい」と言うではないですか。ブサックさんは私がどういう人間か素性も何も知りません。ただ私はヨーロッパの文化を知るためにドイツに来た学生で、「それはとても重要なことだから」と親切に申し出てくれた。ブサックさんの部屋はいわゆる高級住宅街にある、普通だったらとても住めないような立派なマンションです。住むところは見つかったけれど、もちろん家賃は払います。住宅費をどうにか工面しなければなりません。

そこで助けてくれたのがシュツットガルトで知り合ったイレーネさんという方でした。彼女に「家賃の工面で困ってる」とこぼしたら、「大丈夫よ。私に任せなさい」と彼女が言い出した。ドイツにはある一定の条件を備えた人に住宅手当を出すシステムがあって、それに申請してみたらどうかと言う。イレーネさんが「私が書類を書くから」と申し出てくれて、まだドイツ語があまりできなかった私のかわりに書類を一式用意してくれた。すると3ヶ月後にあっさり許可が下り、日本円で月に6万円ほど住宅手当が出ることになった。ブサックさんに払う家賃とだいたい同じくらいの額で、家賃の心配がなくなってしまった。さらに申請が下りるまで私がドイツで過ごした約半間の住宅費が全部出て、加えて家族手当まで出ることになった。

ドイツは敗戦時にいろいろな国に負債があって、例えば外国人がドイツに労働者として来た場合、子どもがいる家族には手当を出すという法律ができた。そこに私の家族が該当することになり、子ども手当の対象になった。子ども三人分で日本円で約6万円です。子どもたちの学校も無料になり、住宅手当と合わせて月々約12万円がドイツにいる間保証されてしまった。非常に不思議なシステムだけれど、いずれにせよ私にとっては大きなお金です。経済的な問題は全部クリアしてしまった。労働は何もせず、勉強だけに集中できる環境ができました。

三人の子供たちは、シュツットガルトでフライエ ヴァルドルフ シューレに入学。シュタイナー教育の学校で、オイリュトミーもそこで学んでいる。

もともとドイツへ行ったもうひとつの理由に、子どもたちにシュタイナー教育を受けさせたいという想いがありました。ヴァルドルフ シューレは日本でいう小学校・中学校・高校があり、1年生から最終学年の10年生までずっとクラスは変わらず持ち上がり。担任も変わらず、10年間同じ先生に教わります。

フライエはドイツ語で自由、ヴァルドルフはタバコ会社の社名、シューレは学校で、自由ヴァルドルフ学校を意味します。ただそれは自由な教育をするという意味ではなく、国家からの干渉を受けないということ。あしろこうしろという国からの指導は一切受け付けません、という意味です。

基本的にヴァルドルフ学校は経済的に豊かな家からはたくさん学費を取るけれど、そうでない家からは取らないという方針で、なので学費は父兄がどういう仕事をしているかによって変わってきます。実際私の子どもたちが通っていたときは自動車会社の御曹司がいて、その家はかなりの額を学費として納めていたようです。一方私のような外国から来た経済的に恵まれていない一家は学費も非常に安くなる。そういう意味ではリベラルな学校だと思います。

日本ではシュタイナー教育というとシュタイナー学校が知られていますが、その数は少なく、ほとんどの家が子どもを通わせるため学校の近くに引っ越しているようです。発達障害など問題を抱える子どもを通わせたいと考える親御さんも多いと聞きますが、確かにそうした子どもにとって、シュタイナー教育の学習は有益かもしれません。ただドイツではそういう意味で子どもをヴァルドルフ学校に入れることはほとんどなく、そこは日本とは違うところでしょう。

ドイツでヴァルドルフ学校に子どもを通わせようという家庭は大半が自由な学校教育を求めてのこと。ただ近年ドイツではヴァルドルフ学校の大学進学率が非常に高くなっていて、“いい大学に入れたいからヴァルドルフ学校に入れる”といった逆転現象が起きています。

学校教育というのは一般的に情報をたくさん詰め込む記憶学習が中心になっていますが、ヴァルドルフ学校の場合は経験が中心で、授業ではいろいろなことを体験します。先に理論を教えるのではなく、植物を育てたり、工作をしたり、具体的に物を使って体験させる。例えば算数の勉強も「2+3は?」「5です」ではなく、「5は何ですか?」「1+4です」という教え方をする。1と4を足すと5になる、2に3を足しても5になるというのは、計算が先に来て、思考から導き出される答えです。それに対して、「5は何ですか?」「1+4です」というのは、体験から導き出される答えです。言葉も単に読み書きで覚えさせるのではなく、踊りと結びつけたり、音楽と結びつけて体験させる。

オイリュトミーはヴァルドルフ学校の大切な課目のひとつで、生徒たちは必ず授業で学びます。視覚や聴覚、触覚といった感覚の働きを使うことは、子どもにとって非常に重要です。中学生くらいになると理論や記憶に基づく働きが強くなるので、体験教育は小学生のうちにした方がいい。反対に小学生のとき詰め込み教育をすると、中学生になってから感覚が弱まってしまうと言われています。

 

笠井叡 舞踏をはじめて <18> に続く。

 

プロフィール

笠井叡

舞踏家、振付家。1960年代に若くして土方巽、大野一雄と親交を深め、東京を中心に数多くのソロ舞踏公演を行う。1970年代天使館を主宰し、多くの舞踏家を育成する。1979年から1985年ドイツ留学。ルドルフ・シュタイナーの人智学、オイリュトミーを研究。帰国後も舞台活動を行わず、15年間舞踊界から遠ざかっていたが、『セラフィータ』で舞台に復帰。その後国内外で数多くの公演活動を行い、「舞踏のニジンスキー」と称賛を浴びる。代表作『花粉革命』は、世界の各都市で上演された。ベルリン、ローマ、ニューヨーク、アンジェ・フランス国立振付センター等で作品を制作。https://akirakasai.com

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