dancedition

バレエ、ダンス、舞踏、ミュージカル……。劇場通いをもっと楽しく。

伊藤キム『家族という名のゲーム』インタビュー!

昨年フィジカルシアターカンパニーGEROを立ち上げ、10年ぶりに創作活動を再開した伊藤キムさん。今年1月の旗揚げ公演に続き、この秋ダンスの祭典Dance New Air 2016で新作『家族という名のゲーム』を発表します。創作にあたる伊藤キムさんに、新作に込めた想いと、カンパニー立ち上げの経緯をお聞きしました。

1995年に「伊藤キム+輝く未来」を結成し、精力的に作品を発表してきましたが、2005年に突如として世界放浪の旅に出ています。どういった心境だったのでしょう。

伊藤>作品づくりに全く興味がなくなってしまって、でも創作活動自体を辞めるわけにはいかないだろうから、何かしらリフレッシュしなければと思ったのがきっかけでした。これは自分の性分なんでしょうけど、だからといっていわゆる研修制度に乗っかろうという気は全然なかったんですよね。制度のなかにはまることなくできることは何かないかなと考えて、山にこもろうかなと思ったり、そういえば高校生のときシベリア鉄道でヨーロッパに行きたいと考えていたなと思い出したり、でもシベリア鉄道は寒そうだなと思ったりして(笑)、じゃあもう少し南の方に行くのはどうだろう、どうせなら世界一周旅行でもしてみようかというところに行き着いた。

それまでダンスの仕事で主にヨーロッパやアメリカに行っていたので、せっかくならそういうところではない場所に行きたい、ならば中国や中央アジア、ウズベキスタンとかキルギスの辺りはどうだろうと。地図を見ていると、あの辺りってウズベキスタンとかカザフスタンとかタジキスタンとか、“スタン”ってつく場所がいっぱいあるんですよね。何だこれ、行ってみたいなと思った。あとやはり地図を見ていたら、カスピ海の大きさが日本とあまり変わらないことに気付いて、すごいな、これは絶対に行かなきゃと思ったりして、そんなこんなで旅に出てみたんです。

 

IMG_7907

 

バックパックの旅だったので、言葉も通じないし、宿を自分で探して、交通手段も電車が主で、たまに飛行機を使うという状態。修業の旅みたいな気分で、これはちょっと一年はむりだな、せいぜい半年かなと思った。というのも、中国や中央アジア、南米に行ったら、それまで僕が触れたことのないものがいっぱいあって。まず宗教。イスラムの国に行くと、みんな一日に5回もお祈りをしてる。どこの国に行ってもだいたい教会があって、グルジアでは町中から山の方に行こうと思ってタクシーに乗ったら、教会を通り過ぎるときにドライバーが運転しながら十字を切るんです。運転中にそんなことをするんだと、見ててびっくりしましたね。あとは貧困です。子どもが家の手伝いで昼間からずっと労働をしていたり、北京では脚のない子がローラーのついた板の上に乗って商店街をごろごろ移動しながら寄付を募ってる。そういう光景って日本にも昔はあったのかもしれないけれど、今は見ないじゃないですか。

それまで避けてきたわけではないけど、僕が知らなかった、見てこなかったものがその半年間ずっと目に飛び込んできた。日本で20年間ダンスをやってきたけれど、今まで僕はなんて小さい世界にいたんだと。そうなるとダンスをやっている場合ではないぞと、創作を辞めてもうちょっと広いものに目を向けたいと思ったんです。その旅は自分の人生の方向性をがらっと変えたような気がします。

 

IMG_7924

 

帰国後新たに『輝く未来』を結成、2011年にカンパニーを解散しています。

伊藤>当時の『輝く未来』というカンパニーは“伊藤キム”というものを利用して若い人たちにキャリアを積んでもらおうという意図があり、僕自身は作品つくらずに、若いメンバーが作品をつくって僕はダンサーとして関わっている状態でした。自分自身でそういう形にしたけれど、やっているうちにだんだん自分が消費されているのではと感じるようになってしまった。現実を見るうちに、本当にこれでいいのかなという想いが出てきて、解散を決めました。

 

IMG_7914

 

 

-コンテンポラリー