Noism20年 井関佐和子、全作品を語る(14)
Noism1メンバー振付公演
真下恵『ひこばえ』、池ヶ谷奏『私の居場所(おうち)』、吉﨑裕哉『T 〕〔 HERE』、簡麟懿『AFTER THE² OTHERS』、中川賢『シシン村の掟』
初演:2015年8月29日
会場:秋葉公園、西海岸公園、上堰潟、信濃川やすらぎ堤、佐潟(新潟)
新潟各地でNoism1メンバー振付作品を上演しています。
「水と土の芸術祭」の企画で、新潟市内のさまざまな場所に設置された美術作品を会場にした公演でした。Noism1の有志が振付けをし、メンバーが踊りました。イベントとしては成功だったけれど、私の中では何か納得できないものがありました。自分にとって振付家とは何だろう、演出家とは何だろう、ということを考えるいい機会になりました。私自身は出演していなかったので、全てのパフォーマンスを観に行きました。いつも帰り道は怒っていました。今考えれば、なぜあんなに怒っていたのだろう? と思います。Noismでの出来事が、自分という存在と密接に関わり過ぎていたのかもしれません。
『愛と精霊の家』
演出振付:金森穣
出演:井関佐和子、山田勇気、小㞍健太、奥野晃士、金森穣
初演:2015年9月4日
会場:りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館(新潟)、彩の国さいたま芸術劇場(埼玉)
作品の発端をお聞かせください。
『愛と精霊の家』のもとになったのが、穣さんと私のプライベート・ユニット「unit-Cyan」で上演した『シアンの家』(初演:2012年9月1日 高知県立美術館)。私の地元・高知でつくった作品です。
初演の『シアンの家』では影絵が出てきます。私が料理をしていて、穣さんが仕事をしている。私が「料理ができたよ」と言うのだけれど、穣さんはイヤフォンで音楽を聴いていて反応しない。私が怒り出し、二人で走り回って喧嘩するーー。段ボールを使って穣さんと影絵を手作りしていきました。大きい鰹を私が担いでくる場面があります。なぜ鰹かというと、高知の特産だから。ただそれだけの理由です。実家で夜な夜な段ボールで鰹をつくっていたら、私の父がやってきて、「穣くん、鰹はそんな顔していないよ。鰹は下唇が出ているんだ」と言い出した。もうファミリー・ビジネスです。
音楽は『ルビーの指輪』を使っています。でも『ルビーの指輪』をそのままかけても面白くない。まず5倍にストレッチして、そこにひとつひとつ振りを入れ、またぎゅっと縮めています。そうすることで、動きがものすごく速くなる。影絵がアニメ的な動きになるんです。
作中は二人の人生を赤裸々に語っています。お腹に風船を入れて、膨らませて割ったのもそう。それは象徴的な出来事でした。
『愛と精霊の家』は、unit-Cyanでのプライベートな構造から一線を引き、普遍性のあるものへと進化をさせました。楽曲は『ルビーの指輪』ではなく、クラシック音楽です。客観的な目線をひとつ取り入れようと、『愛と精霊の家』では新たに俳優さんに入ってもらいました。
『愛と精霊の家』はNoism0のデビュー作でもありました。
この時期、私の中でままならないものを抱えていて、『愛と精霊の家』だけが救いでした。Noism0を立ち上げるという話があったとき、1年後の公演だというのに、そこにすがりついた。「今はしんどいけれど、この先彼らと一緒にできる、きっと進む場所が見つかる」。そんな感覚で日々をやり過ごしていた。実際に彼らと踊ってみて、楽しいおしゃべりをしていても、次の瞬間言葉が消えて、不思議な緊張感が宿る。それをみんなで一緒に共有している感覚です。自分がやりたいのはこれだ、と強く感じました。
『愛と精霊の家』のキャストは、奥野晃士、小㞍健太、山田勇気、金森穣。30代後半〜の人たちです。
穣さんの中で、NDTⅢの存在がずっと頭にあったようです。穣さんも私も、NDTⅡにいたころNDTⅢを間近で見ていて、あの人たちのすごさはわかっていた。NDTⅢのメンバーは40歳以上で、なかには身体があまりきかなくなっている人もいたけれど、でも存在自体スペシャルなものがあった。キリアン自身もNDTⅢのことを愛していたし、彼のコアの部分をNDTⅢで表現したいという想いがあったように感じます。けれど、予算面など現実的な問題でなくなってしまった。それは大事件でした。
後にも先にもああいうカンパニーはない。若いころからNDTⅢの人たちに憧れていて、だからいつかNoism0をつくろう、という想いがありました。
ただカンパニーとしてNoism0を立ち上げたのはもう少し後で、2019年になってから。このときはプロジェクトとしてスタートした形でした。
劇的舞踊『ラ・バヤデール―幻の国』
演出:金森穣
振付:Noism1
井関佐和子、中川賢、チェン・リンイ、石原悠子、池ヶ谷奏、吉﨑裕哉、梶田留以、佐藤琢哉、リン・シーピン、上田尚弘、田中須和子、浅海侑加(準メンバー)(Noism1)、飯田利奈子、髙木眞慈、鳥羽絢美、西岡ひなの、深井響子、秋山沙和、西澤真耶、牧野彩季(Noism2)、奥野晃士、貴島豪、たきいみき(SPAC ‒ 静岡県舞台芸術センター)
初演:2016年6月17日
会場:りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館(新潟)、KAAT神奈川芸術劇場(神奈川)、兵庫県立芸術文化センター(兵庫)、愛知県芸術劇場(愛知)、静岡芸術劇場(静岡)
SPACとの共同制作作品で、役者もキャストに加えた大作でした。
プログラムはたいてい公演の2年ほど前に決定します。『ラ・バヤデール―幻の国』もそうで、まず静岡、愛知、兵庫との共同制作が決まりました。共同制作=持ち寄りになるので予算が増える。役者さんにお支払いもできる。結果、大きい作品がつくりやすい。振付家はつくりたいものを好きにつくれるわけではありません。時期と予算が大きな影響を与えます。
脚本を平田オリザさんが書いてくださっています。利賀村の演劇祭で穣さんが審査員をしたとき、平田さんが審査委員長を務めていて、そのご縁がありました。
穣さんは普段自分で台本を書いていたけれど、役者さんを使うなら、言葉も重要になる。バレエ作品である『ラ・バヤデール』がそもそもバレエの作品なので、オリジナルの物語に変えたいという考えもあったようです。
平田さんの脚本はすごく面白かったですね。わかりやすいし、伝わりやすい。平田さんにしてもそうですが、頭のいい方の文は読みやすく、優しい言葉で書いてくれる。だから何も疑問がなく、読んでいてすんなりくるんです。平田さんはすごくリベラルでオープンな方。「台本をどう変えてもいい」と言ってくださって、自由度の高い創作でした。
平田さんはものすごく忙しく、それでも何度か稽古を見に来られました。そこで役者さんのセリフを書きかえることもありました。
物語はバレエの『ラ・バヤデール』をもとに、舞台を架空の草原の国「マランシュ」に置きかえています。作中は国々の戦争があり、いろいろな国のキャラクターが登場します。それぞれ役名がついていて、私は踊り子のミランでした。衣裳はイッセイミヤケで、ロシアの民族衣裳をイメージさせる服だったり、韓国のチマチョゴリ風の衣裳だったりと、いろいろな国や民族をイメージさせるものでした。チームイッセイミヤケは稽古用に本番へ向けた試作の衣裳を送ってくれて、ボロボロになるまで使っていいと言います。衣裳と振りを一緒に考えられる、着せられているものではなく、もはや身体の一部のように感じられるところまで稽古ができる。全てが一体となる。舞台芸術の本質です。贅沢でありがたい機会でした。
創作はどのように進みましたか?
『ラ・バヤデール』は振付が特殊で、全てワークショップでつくっています。
まずホワイトボードの前にみんなを集めて、穣さんがテーマを出していきました。授業のような感じです。例えば、「怒り」がテーマに出され、「怒り」から派生する言葉をみんなが挙げていき、それに対してひとり5個ずつ動きを出していく。動きといっても、表面的な動作をつくるのではなく、心的状況から生まれる「形」をつくっていきます。
同じ「怒り」でも、心情は人それぞれ違います。みんなから出てきた動きをもとに、穣さんがピックアップし、紡ぎ合わせて、ひとつの振付にしていきました。身体の流れなどは度外視してつくっているので、覚えるのも時間がかかります。ワークショップで作品の一部をつくることはあるけれど、全部つくったのは『ラ・バヤデール』がはじめてでした。
公演で印象に残っていることは?
2幕の影の王国は『ラ・バヤデール』を代表するシーンです。そこで、ヨーロッパで踊っていた19歳のときのことを思い出しました。ソル・レオンとの想い出です。
ソルは、当時NDT1のダンサーであり、専属振付家で、ポール・ライトフットの奥さんでした。ソルはいわゆるキリアン・ダンサーではありません。キリアン・ダンサーは身体的にうつくしい人が多いけれど、彼女はちょっと違ったタイプでした。決して恵まれている身体を持っているわけではなく、でも踊るエネルギーがすごかった。いろいろ問題もあった人だけど、彼女の舞台はそれすら忘れさせるほど素晴らしかった。舞踊家としての彼女がすごく好きでした。
ポールとソルの作品のキャストに選ばれたことがありました。女性3人と男性3人が踊る『Said and Done』です。幕開け、私たちはまず背後の幕に隠れていて、タイミングがくるとそこから出ていきます。ものすごく緊張しながら幕の後ろで待機していたら、ソルが落ち着くようにと、呼吸の仕方を私に教えてくれました。でもそのとき私は10代で、あまりよくソルの言葉を理解していなかったと思います。
バレエ作品『ラ・バヤデール』の影の王国のシーンは舞台の上手からダンサーが横に並んで出てくるけれど、私たちの作品ではまっすぐ後ろから縦に舞踊家が出てきます。そこでソルという舞踊家と重なった感覚がありました。それまでは出すことにエネルギーを注いでいたけど、身体的に上げていくのではなく、下へ下へ落として落ち着かせて、ふっと力が抜ける瞬間があった。それから舞台に出ていった。ドシンとしている自分がいた。19歳のときに言われたことが、数十年経ち、やっとしっくりきた。1歩引くことによって内面が出てくる。集中の仕方、内に秘めるエネルギーのようなものを感じることができた。彼女があの異様な気配を纏って舞台にあらわれていたのは、そういうことだったのかもしれないと、そこで気づかされました。
若いころは死ぬまで踊りきるような、出し切ったときにしか感じられないものを求めていて、それが正しいと思っていました。そうでなくてもいけるんだという自信が、そこで少しついた気がします。
映画監督の松永大司さんが、『ラ・バヤデール』を映像作品として撮ってくださっています。これもすごく記憶に残っています。ライブ収録ではなく、カメラを何台も置いて、愛知公演のゲネプロを収録しました。映画監督の方が撮っているので、単純なヨリヒキではなく、物語が伝わってくる。すごくいい作品に仕上がりました。
ただ撮影のときの穣さんは、ずっとピリピリしっぱなし。普段ゲネプロは何があっても止めることはないけれど、このときはそうもいきません。ある場面で決定的な失敗があって、かなり前のシーンからやり直しです。それが延々続きました。いいかげん私が文句を言ったら、穣さんがぶち切れて大喧嘩。次の日は本番です。
喧嘩はその日の夜まで引きずって、穣さんに「Noismを辞めろ」と言われました。それ以前にも私は何度もクビになっています。大喧嘩して泣いたとしても、翌日は腫れたまぶたをメイクで誤魔化し、ズタボロになった状態で舞台に立つ。それは舞台の本質でもあるけれど、そういう経験は多々あります。どうであれ、お互いが思う「最高のもの」を求めるがあまり、ズレが大きくなっていくのでしょう。
国内ツアーのほか、ルーマニアやロシアでも『ラ・バヤデール』を上演しています。
ルーマニアではトラブルがありました。現地の照明が全く使えず、穣さんと舞台のスタッフたちは徹夜で調整が続きました。当初ゲネプロをお客さんに公開することになっていたけれど、結局それは無理ということになりました。公開リハーサルということでお客さんは入ってくるけれど、私たちは舞台上でストレッチをしているだけ。開演も時間に間に合わず、30分ほど押しています。
ただいいこともありました。2幕の影の王国のシーンで、会場がため息に包まれた。観客と舞台の境界がなくなり、劇場という空間自体が一体となってどこかの次元に行ってしまう感覚がありました。『ラ・バヤデール』という作品自体をみなさん知っていて、そのシーンがどれだけ重要かを知っていたのでしょう。それがすごくうれしかったと、公演後に穣さんから聞きました。
ルーマニアではオフもあり、シビウ郊外にみんなでバスで出かけて、古い森に行ったのもいい想い出です。みんなで撮った写真が今も残っています。
Noism20年 井関佐和子、全作品を語る(15)につづく。
プロフィール
井関 佐和子 Sawako ISEKI
Noism Company Niigata国際活動部門芸術監督 / Noism0 舞踊家。1978年高知県生まれ。3歳よりクラシックバレエを一の宮咲子に師事。16歳で渡欧。スイス・チューリッヒ国立バレエ学校を経て、ルードラ・ベジャール・ローザンヌにてモーリス・ベジャールらに師事。’98年ネザーランド・ダンス・シアターⅡ(オランダ)に入団、イリ・キリアン、オハッド・ナハリン、ポール・ライトフット等の作品を踊る。’01年クルベルグ・バレエ(スウェーデン)に移籍、マッツ・エック、ヨハン・インガー等の作品を踊る。’04年4月Noism結成メンバーとなり、金森穣作品においては常に主要なパートを務め、日本を代表する舞踊家のひとりとして、各方面から高い評価と注目を集めている。’08年よりバレエミストレス、’10年よりNoism副芸術監督を務める。22年9月よりNoism Company Niigata国際活動部門芸術監督。第38回ニムラ舞踊賞、令和2年度(第71回)芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
Noism
りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館を拠点に活動する、日本初の公共劇場専属舞踊団。プロフェッショナル選抜メンバーによるNoism0(ノイズムゼロ)、プロフェッショナルカンパニーNoism1(ノイズムワン)、研修生カンパニーNoism2(ノイズムツー)の3つの集団があり、国内・世界各地からオーディションで選ばれた舞踊家が新潟に移住し、年間を通して活動。2004年の設立以来、りゅーとぴあで創った作品を国内外で上演し、新潟から世界に向けてグローバルに展開する活動(国際活動部門)とともに、市民のためのオープンクラス、学校へのアウトリーチをはじめとした地域に根差した活動(地域活動部門)を行っている。Noismの由来は「No-ism=無主義」。特定の主義を持たず、今この時代に新たな舞踊芸術を創造することを志している。https://noism.jp/






