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森優貴『Macbeth マクベス』インタビュー!

ドイツ・レーゲンスブルグ歌劇場ダンスカンパニー芸術監督の森優貴さんが、この夏日本で振付最新作『Macbeth マクベス』を発表! ダンス×文学シリーズVol.1として神戸で初演を迎え、続いて文学舞踊劇として東京公演を開催します。開幕に先駆け帰国中の森さんに、作品への想いをお聞きしました。

この夏、日本で初演を迎える森優貴さんの最新作『Macbeth マクベス』。マクベスを題材に選んだのは何故でしょう?

森>ダンス×文学シリーズのVol.1として文学を舞踊で表現していく上で、まず誰もが馴染みがあり入りやすい作品をと考えシェイクスピアを選びました。ただ出演者がふたりという限られた条件の中で作品化するには、シェイクスピアを構成しなおす必要がある。数あるシェイクスピア作品のなかでも、自分なりに柔軟かつ現代的に物語を組み立てられる機能を持っていたのがマクベスだった。

マクベスとレディマクベスの間にあるのは純愛ではないけれど、陰と陽のように互いの足りないところを少しずつ補い合い成り立っている。男女の歪んだ関係の中に歪んだ共通の野心があるからこそ事件が発生し、崩壊へと突き進んでいきます。そういう人間の弱さやダークな野心も惹かれた部分です。自分が演じるという意味では、年齢的な理由もありました。あと5歳若かったらハムレットを選んでいたかもしれない。だけど40歳手前になった今の自分にとってはマクベスが一番しっくりきた気がします。

 

(C) TOKIKO FURUTA

(C) TOKIKO FURUTA

 

レディマクベスは池上直子さんが踊ります。

森>池上さんは昨年12月から今年3月まで文化庁・新進芸術家制度の特別研修員としてレーゲンスブルに滞在し、新作ダンスオペラ『恐るべき子供たち』の演出振付にあたりプロダクションアシスタントを務めてくれていたんです。日々のリハーサルから舞台転換等の総合演出面で素晴らしい洞察力でアシストしてくれ、欧州での芸術監督としての職務と責任、そして公立劇場専属舞踊団のシステムを学ばれました。それが縁で今回共演する事になりました。

彼女は振りを渡すと真っ直ぐ表現してくるにも関わらず、どこかで弱さや孤独が滲み出てくる。衝動的で本能的だと思っていたら、意外と神経質だしすごく考える。表面に出ている印象は自分をすっぽりカバーするためのものというか……。レディマクベスって決して恐妻や稀代の悪女という訳ではなくて、野心のため間接的に人を殺め、望みを手に入れるけど、弱さゆえ崩壊していく。そこが彼女の表面に見える強さと内に秘めた不安定さにちょうど重なって見えました。

 

(C) TOKIKO FURUTA

(C) TOKIKO FURUTA

 

クリエイション法は? マクベスの物語をどのように作品化していくのでしょう。

森>まずシーン割りからはじめました。ふたりきりの出演者で物語を伝えていく上で、原作から構成的に不必要なところは全部カットし、シンプルにまとめています。だから物語を掘り下げているというよりは、本当に場面場面のダイジェスト版。ダークな野心のために人を殺めて自己崩壊に向かっていく、マクベスとレディマクベスというふたりの人間の闇や弱さをメインに描いています。

僕の振付作品は基本音楽全てで成り立っているので、まずシーンを並べ、それぞれの雰囲気に合う、そして総合的に聴いた時の流れを大切に楽曲を探していきました。第一過程として、ある程度のシーン作りから始めます。音楽がスタートしてからコンマ35秒までに照明が舞台斜め奥からフェードインし、次はダンサーが舞台前方に動き、次の照明が18秒間でクロスフェードされるのが音楽スタートから一分20秒後で……という様に作品終了までの流れをざっくり演出プランとして作成した後、実際にスタジオでダンサーと振付過程に入っていきます。今回に関しても同じ進行の仕方です。

池上さんには僕の持っているレディマクベスのイメージを提示し、まずそこに近づけてもらっています。ただ振りを渡していく過程で、どう動きを捉え、どう理解するのか見ていると、違うものが出てくることもあって。だから僕のイメージと彼女から立ちあらわれるイメージは半々で、僕が構成したマクベスの世界におけるレディマクベスを見つけていくという作業です。

 

(C) TOKIKO FURUTA

(C) TOKIKO FURUTA

 

森さんご自身もダンサーとして出演されます。自作自演の難しさを感じる部分はありますか?

森>やはり自分で自分に振付けるのは難しいですね。自分に振付けした経験はさほど多くはなくて、レーゲンスブルグ初演で貞松・浜田バレエ団が日本初演した『SchwarzerRegen 黒い雨』。そして『冬の旅』、セルリアンタワー能楽堂で上演した『ひかり、肖像』と『オセロー&オテロ』くらいでしょうか。

自分の踊りや振付のクセは自分が一番分かっているので、せっかく自分が出演するなら今までの殻から抜け出したいという欲はある。でも、それがなかなかできなくて。意識してる訳ではないけど、どうしても自分の得意なものが出てきてしまい、それでいいんだと言い聞かせるのが難しい。あと物理的に自分が踊っていると見れないから、感覚を頼るしかない。踊りの感覚はもちろん、作品の構成の感覚もそう。ただ、そこは大きく間違ってはないと思っています。

 

(C) TOKIKO FURUTA

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-コンテンポラリー