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レーゲンスブルク歌劇場ダンスカンパニー芸術監督 森優貴インタビュー!

ドイツ・レーゲンスブルク歌劇場ダンスカンパニー芸術監督の森優貴さんが、2019年秋をもって退団を発表! 退任に至る経緯と現在の活動、今後の展望についてお聞きしました。

帰国後はどのような活動を考えていますか?

森>まず拠点を地元の兵庫県に置き、日本の舞台芸術・舞踊芸術に関わりながら、全国範囲でダンサーの育成、そして舞踊を社会的ニーズに織り込んでいきたいと考えています。さらに舞踊というジャンルにこだわらず、舞台芸術、舞台作品そのものに関わっていきたい。ダンサーはもちろんのこと、芝居の演出や役者の方々との仕事など、これまでできなかった舞台づくりに積極的に挑戦していきたいと思っています。

ただ人生の半分以上をヨーロッパで生きてきた、その繋がりは簡単に切れるものではない。日本で活動しながら、今後もヨーロッパの劇場とは関わりを持ち続けたい。特にドイツの劇場からのオファーについては並行して実現していくつもりです。

 

『The House』(C)Bettina Stöss

 

しかし、一番の理想としてあるのは、日本で劇場や芸術文化施設に専属舞踊団を設立すること。公立劇場、地方文化施設から独自の作品を発信し、文化を浸透させて、地域の人たちの生活を豊かにする。デジタル化が進む現代社会で、失われつつあると感じるものは、人同士が“今という瞬間に”できる直接的なコミュニケーション、表現だと思う。理屈ではなく、人間が持つ本能的な部分で感動する、共感し合うこと。言葉ではなく、環境、感情、物語、全てを生身の人間が訓練された身体を使って表現するのが、舞踊と他の舞台芸術との違いだと思っています。

高齢化社会についても過酷な状況として捉えていています。慢性疲労のように見える日本の社会において、何が必要なのか。それは人が生み出す文化で繋がること、会話すること。音楽、舞踊、身体表現などで触れ合うこと、共感すること。ときにそれは医療的な処置以上に精神的なケアに役立つ可能性を持っている。世の中に医療が必要とされているのと同じくらい、文化芸術は必要とされなければいけない。そういう意味でも公立劇場に専属のプロ集団を設立することは、社会問題にも積極的に参加していくことになる。

 

『危険な関係』リハーサル

 

日本で舞踊は未だにお稽古事の延長としてみられてる。職業として認知されにくいのが現状です。日本の舞踊界には本当の意味での専門職としてダンサーを育成させる機関がなく、プロとアマチュアの境界線の甘さがそう思わせているのかもしれないですね。舞踊を社会に浸透させる文化として発信していくのであれば、質が高く、しっかりとしたヴィジョンを持って次世代を育成していかなければいけない。

どういう角度から市民に発信していき、劇場に興味を持ってもらい、足を運んでもらうか。ドイツで芸術監督をしてきた経験から、社会問題に対しても積極的に動いていければという想いもある。劇場から質の高い舞台芸術を発信していくことも、質の高いダンサーの育成も、社会運動に参加していくことも経験してきた。継続的に発信していけば、日本の舞踊界も必ず変わっていくと信じている。でも今はその場がない。予算がない。ただ経済的な問題だとしても、方法によっては今までと同じ金額で可能にできることでもある。

金森穣氏率いるNoismが日本で唯一公立劇場の専属舞踊団として新潟で活動しているけれど、後に続くところがない。他にも可能性を持つ県なり財団なりはあるはずなのに、一向に体勢が変わらない。劇場が専門分野の専門家を置きたがらず、芸術監督制がいまだに実現しない。そこは非常に歯がゆい気持ちです。何とかして自分がNoismの2番手をつくり、その功績を引き継いでいきたい。年間契約でなくてもいいし、例えば期間限定のプロジェクトカンパニーでもいい、できることからはじめられたら。理想ではあるけれど、現実にできることだとも思っています。

 

『春の祭典 』(C)Bettina Stöss

 

地域と関わっていく上で, 次世代の子どもたちに本物の芸術に触れさせ、感動できるものを日常化していかなければいけないと思っています。子どもたちがこの先20年経って大人になったとき、文化を受け入れる知識と姿勢がないといけない。再び次の世代に伝えていかなければいけない。そうでなければ人の暮らしを豊かにする文化や芸術が消えて無くなってしまう。世界に目を向けると、生まれながらの病気や災害、内戦と、日常的に苦しんでいる人たちが実際にいる。彼らを闇から救ってきたのは文化です。文化が人を教育し、人を育て上げ、社会を豊かにしていけると信じています。

今の日本の劇場には、売買した舞台芸術ではなく、独自で発信していく質の高い舞台芸術が必要です。劇場が市民たちの集いの場、休憩の場、お稽古の場で終わっているようではいけない。社会性を持ったテーマや子どもたちの教育目的の作品、日常を一瞬でも忘れることができる心動かす作品を発信すること。そこに参加したいと願っていますし、働きかけてもいる。これまでの経験から、シェアできる知識と経験はたくさんあると考えています。

現代はアミューズメントメディアが発達しているから、昔と違って“劇場で何か上演されているから観に行こう”という状況にはない。どの国もそうで、今にはじまったことではない。時代や世代によって芸術に対する見方も変わっていく。劇場文化はそうして何百年と繰り返されてきた。時代ごとの変化があっての今。だからこそ舞台芸術というのはとても大切で価値あるものだと伝えていくべきであり、それはつくる資格を与えられた人間の責任だと思う。

この先もっと人と人が会話をしなくなる時代がくるでしょう。劇場というのは、生身の人間がそこで行っていることを、生身の人間が観て何かを感じる貴重な場所。この文化はなんとしても守っていかなければいけないと考えています。 

 

『ボレロ』(C)Jochen Quas

 

-コンテンポラリー