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レーゲンスブルク歌劇場ダンスカンパニー芸術監督 森優貴インタビュー!

ドイツ・レーゲンスブルク歌劇場ダンスカンパニー芸術監督の森優貴さんが、2019年秋をもって退団を発表! 退任に至る経緯と現在の活動、今後の展望についてお聞きしました。

日本人初のヨーロッパ公立劇場芸術監督として活躍されている森優貴さん。先日、2019年の夏をもってレーゲンスブルク歌劇場ダンスカンパニーの芸術監督を退任すると発表されました。退任を決めた理由は何だったのでしょう? 

森>理由はひとつではないけれど、ヨーロッパで経験を重ねてきて、日本で第二のスタートを切るなら今だと思った。自分も家族もどんどん歳を重ねていく中で、日本に帰るなら今だと考えました。

ただそれが芸術監督を退く最大の理由ではない。日本の舞踊界、舞台芸術ともっと関わりたいという気持ちをずっと抱いていました。ドイツと日本を行き来しながら芸術監督という職務を継続していく方法もあったかもしれないけれど、現状ではそれも難しい。実際のところ他の劇場からの移籍オファーもあり、移籍することも考えました。

 

『死と乙女』(C)Jochen Klenk

 

劇場支配人をはじめとした関係者にはやはり反対されました。契約については支配人との個人交渉なので、任期の期限というのは特に決まってはいません。ただ現状の契約ではひとまず2020年の8月末までとなっていたのが、その1年前に辞めることになりました。

2012年に芸術監督へ就任し、何年もかけてカンパニーをここまで育て上げてきた。これまでこつこつ積み重ねてきたことを手放してしまう……、そう考えるとやはり戸惑いがある。22年前に初めてドイツに降り立ち、プロの劇場専属ダンサーとして踊り、レーゲンスブルクで芸術監督に就いた。改めて振り返ってみても、必然的に歩んで来た道だと感じるし、なるべくして与えられたチャンスだとも思ってる。

ヨーロッパの劇場で芸術監督に就くというのは誰しもに与えられるチャンスではないというのは十分わかってる。それは周りの人たちにもずっと言われ続けてきたことですし、自分の励みとして持ち続けてきた気持ちです。日本の舞踊関係者から日本の舞踊界の現状についていろいろ話を聞いていたので、自分のことだけ考えると余計に手放すべきではないという想いは強く抱えていました。けれどこれも、必然的な流れの中で出すべきだった決断だと思っています。

 

『春の祭典 』(C)Bettina Stöss

 

ダンサーたちは森さんの決断をどう受け止めたのでしょう。

森>みんな涙を流し、なかには部屋から出て行くダンサーもいました。僕にとってはこの先忘れることのない光景です。劇場が退任を正式に発表したのはちょうど新作『死と乙女』のクリエイションをしていた時期で、テーマ的にもカンパニーの絆を常に感じていたところでした。リハーサルでは、途中でひとりが泣き出し、またひとりが泣き出し……、といった状態が続き、たびたび中断するようなことがありました。

ダンサーたちには“優貴のことが好きで、優貴の作品が好きだから、とても悲しい”と言われました。彼らを置いていくのはやはり辛い。ひとりひとりに向き合い、お互いリスペクトし合い、触発し合いながら舞台芸術をつくり続けてきた家族ですから。もちろん彼らは彼らで、 “優貴とここまで築いていきたのに、私たちはこれからどうなるの?”という不安な想いもあったでしょう。けれどダンサーたちは、この決断を受け入れ、理解し、励まし、支持してくれました。

劇場側と話し合った結果、ダンサーたちの契約は続行することになったので、芸術監督としては安心しました。けれど、自分の子どもたちを他人の家に預け去る気持ちもある。去年入団したダンサーたちに対しては特に申し訳ないと感じます。

『死と乙女』の開幕後、客席で舞台を観ながら“振付家はひとりでは成り立たないんだな”と改めて痛感させられました。これだけの能力を持つダンサーたちが集まり、共に訓練し続けることができるからこそ、振付家のヴィジョンを舞台という場に現実化できるのだと。その事実を今、強く感じています。

 

『死と乙女』(C)Jochen Klenk

 

今年秋、レーゲンスブルクで新作『死と乙女』を発表しています。『死と乙女』をテーマに創作をしようと考えた理由とは?

森>2008年に日本で発表した能とダンスの共作『ひかり、肖像』でマーラーが編曲したシューベルトの『死と乙女』弦楽4重奏を扱い、以来10年間、この曲が自分の中に残り続けていました。芸術監督に就任して以来、いつか必ず『死と乙女』を新作として世に出したいと想い続けていたんです。

『死と乙女』を新作としてつくるにあたり、まず浮かんだのが“死と儚さ”というテーマでした。死というのはこれまでの作品でも必ずテーマになってきたもので、常に意識をしています。死とは、この世に生を受けたからには確実に誰もが辿り着く場所。確実に迎える時であり、絶対的なものです。死とは何なのか具体的に分からないまま、なぜ誰もが不安を覚え、恐怖に怯えるのか。“自分がなくなってしまう”“存在しなくなってしまう”“終わってしまう”と感じるのか。

日本の文化には、死=儚さという思想がある。儚いもの、一期一会、消えていくもの、過ぎ去っていくもの……。全ての瞬間を生きているからこそ、人間の人生には未知の死に進む不安と恐怖が影となってつきまとい、決してとらえられないものだからこそ、生きる瞬間の中に美しさを感じる。これは時期的に今の自分が取り組むべきだと考えたテーマです。

ただし、この作品に込めた意図は必ずしも、死という言葉が持つ重みという訳ではありません。シューベルトの歌曲となったマティアス・クラウディウスによる詩は病の床に伏す乙女と死神の対話を描いた作品であり、恐ろしい苦痛ではなく永遠の安息として書かれています。 “死ぬ”だとか“無になる”ということに対して闇雲に恐れを抱くのではなく、恐怖や不安、過ぎ去った時間、生きてきた思い出まで、全てを乙女が受け入れ、次の場所へ向かっていく。死とは新たな世界への旅立ちであり、与えられた今までの時間の延長である、というイメージで描こうと考えました。

公演は2部作で、2作目に元ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団のファビアン・プリオヴィルを招聘しました。ファビアンに“儚さをテーマに『死と乙女』を創作する”と考えを伝えると、彼が“じゃあ僕は優貴が描く死の後にあるもの、無くなってしまった先に続くものをテーマにする”ということで、もうひとつの作品の構想が生まれ、今回の公演が実現しました。僕の作品は抽象的でありながらストーリー性も重視し、彼の作品は抽象的なイメージを重視する。内容は全く違うけれど、異なる作品を繋げるものは必然としてあります。

 

『死と乙女』(C)Jochen Klenk

 

主演の乙女役には奥西れいを配役しました。彼女は昨年入団したばかりで、2年目にしての主役です。彼女は50分間踊りづめ。身体的にハードな役だけれど、非常によく演じてくれていると思います。動きの正確さ、音楽性、彼女の持つ自然さが、無垢な乙女像をしっかり体現してくれている。入団当初から、彼女には身体感覚や動きと音楽への理解力、感じ方など、僕自身と多くの共通点を見出していて、今回も全てを彼女に受け継がせたつもり。実際に彼女を見ていると、 “自分の血が流れているのではないか?”と思ってしまうほど。

カンパニーのメンバーもみんな自分を前面に押し出すことなく、彼女のことをサポートしてくれています。僕がレーゲンスブルク歌劇場ダンスカンパニーの芸術監督に就いて7年目になりますが、今最もカンパニーがアンサンブルとして良い状態で、だからこそこの作品をつくることができた。そう考えると今このタイミングで彼らと『死と乙女』を創作したのも必然的なことだったと思う。批評では“森優貴のこれまでの集大成”という評価をいただきましたが、『死と乙女』には今の自分自身が全て入っているし、僕自身を描いた作品でもあると思います。

 

『死と乙女』初日カーテンコール

 

-コンテンポラリー