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笠井叡『高丘親王航海記』インタビュー!

舞踏家で振付家の笠井叡さんが、澁澤龍彦の遺作『高丘親王航海記』をダンス化。生前の澁澤さんと交流があったという笠井さん。没後30年以上の月日を経た今、総勢21名のダンサーを率いこの大作に挑みます。リハーサル中の笠井さんに、創作のきっかけと、本作への想いをお聞きしました。

笠井さんが大がかりな舞台美術を取り入れるのは非常に珍しいケースではないでしょうか。

笠井>確かに私自身はこれまで作品に美術要素を入れたことはほとんどないし、そういう意味では今までの作品とは違う部分ですね。あと役柄に合わせて衣裳もつくってもらっています。舞台美術と衣裳は榎本了壱さんにお願いしました。

榎本さんも以前澁澤さんの『高丘親王航海記』を題材に作品をつくられていて、銀座で開かれた展覧会で私もそれを目にしています。彼もまた『高丘親王航海記』に入れ込んでいて、ご自身の総まとめのような展覧会でした。その頃私も澁澤さんの『高丘親王航海記』で作品をつくろうと思っていたので、“だったら彼に舞台美術を頼んでみようかな”と考えました。

 

 

榎本さんはもともと演劇の舞台美術で活躍されていた方で、寺山修司の舞台も手がけています。だから私としては、榎本さんがまさか澁澤文学をご自分の作品にするとは想像もしていなかったし、絶対にあり得ないと思ってた。かつて寺山さんたち演劇の人間とダンスの人間は敵対関係にあって、寺山さんの演劇をダンスの人たちが観に行くことは絶対になかったし、反対に寺山さんたち演劇の人がダンスを観に来ることはありませんでした。そういう意味では澁澤さんはダンス派だった。澁澤さんはそういうところはすごく律儀だったので、寺山さんの演劇は一切観に行かなかったですね。

ただ敵対していたといっても、そこに理由はあまりないんですけど。感覚の違いみたいなものがあって、あまり接点がなかったというだけ。今はその違いがなくなっているから、面白くないといえば面白くない。私としては今回初めて寺山さんたちと仕事をしていた人と出会った形です。榎本さんが舞台美術を手がけてくれるということで、ある意味ひとつにドッキングしたようなところがある。当時だったら絶対にありえない話ですよね。

 

 

リハーサルの様子はいかがですか?

笠井>リハーサルにはかなり時間をかけています。2018年の5〜7月に育世さんとBATIKに振付けて、8〜10月にはなさんと岡本さん、くららさんの場面をつくり、11〜12月はもうほとんど振付けを終わっていて、あとは通し稽古と繋ぎをつくっているような段階です。

振付けをするのは早い方ですが、私の場合そのまますっと舞台に乗せないんです。ダンサーのみなさんには何度も稽古をしてもらうし、練習には相当時間を費やしています。料理をつくって“はい、出来たてを食べて下さい”というのとは真逆。振付けと様式では概念が違う、というのがその理由です。振付けているときというのは振付家の動きになる。けれど様式になると振付家が消えていく。極端な話、振付けしたものを10年踊っていると、それは様式になる。家元制になって昔の振付けがいまだに残っていると、それは振付けではなく様式になる。

 

 

繰り返し動いている内に、振付けられた人の身体の持つ形がだんだん出てくる。そのために時間がかかってしまう。振付けから様式になるというのはそういうこと。だから“昨日振付けました、今日舞台に出てください”というのは様式にならない。伝統とまではいわないけれど、振付けを様式のところまで持っていったものを舞台に乗せたい、という感覚があります。

でも以前はあまりそういうことに興味はなくて、むしろ振付けたらすぐ舞台に乗せたいタイプでした。それをしなくなったのは育世さんから頼まれてBATIKに振付けをしたあたりから。そこで私の振付けというよりも、ダンサーひとりひとりの資質が形になるようなつくり方をした。様式を求めるようになったのはそれからですね。

 

 

ご自身も舞台に立たれます。その場合は振付け・様式の関係性はどうなるのでしょう。

笠井>いつもそうですが、私自身が舞台で踊るときはほとんど振付けはしていません。振付けで踊るというのは私としてはまどろっこしくてしょうがない。例えば『花粉革命』(2001)はもともと即興で踊っていて、ほとんど振付部分はありません。大半を即興で踊っているけど、観ている人にはわからない。むしろ振付けられているものだと思って観ているようです。“あれは振付けなんですか? それとも即興なんですか?”とよく聞かれます。

2016年の『冬の旅』ではじめて全曲自分で振付けをして踊りました。セルフコレオグラフィーで、シューベルトの歌曲24曲に振付けをした作品です。ただそのときも観ている人にはわからなかった。一生懸命振付けして踊ったにもかかわらず、“笠井さん、あれ即興なんでしょう?”と言うんです。なかには三日間劇場に通った人がいて、“本当に振付けたかどうか見比べたけど、確かに三日とも同じだった”と言われました(笑)。私の結論は、“そうか、観ている人にはどうでもいいんだな”ということ。振付けた、即興だ、というのは観ている人にとってはあまり意味がないんだな、ということがわかった。それで辞めました。だから今回も私の場面に関しては全部即興です。

くららさんに出てもらった『白鳥の湖』のときは、彼女には振付けをしましたが、私の方は即興で踊っています。彼女に振付けた踊りに、私が即興的に絡んでいく。だから彼女としては、私がどう踊るかというのはわからない。ただ振付けした部分も1〜2箇所ありました。バレエの王子様のように私が彼女をサポートするシーンがあって、そこはお互い決めていないと危ないので、即興ではなく振付けをしています。

 

 

振付けというのは彫刻でいうと彫った直後のもの。作品を手で愛でていると次第に丸みが帯びてくる。振付けというのは必ず摩滅していきます。だから実は振付けのまま保つ方が難しいかもしれません。例えば世界ツアーをすると、終わる頃はひとつの振付けが様式になっている。この作品も最初に振付けた半年前とかなり変わって、すでに様式になりつつあります。ダンサーも最初の頃はばりばり角っぽく踊っていたのが、だいぶ丸っぽくなってきました。

私の動きは即興で毎回変わっていくので、様式にはならない。ところが振付けられた人はまた違う。例えば育世さんなどもう半年以上動いている訳ですから、だんだん育世さんの身体と一緒になってくる。ひとつの様式になってくる。

舞台美術が舞台に登場すること自体、振付けをみせるというよりは様式をみせる作品になっているということ。バレエ作品の『白鳥の湖』にしても、実際のところ背景なしでもできる。でも大半の作品で背景に湖や岩山といった舞台美術を使っていますよね。舞台美術におけるイメージの要素とバレエはマッチできるんです。なぜかというと、バレエは振付けではなくてパという様式だから。様式の場合は美術作品を持ってきてもいい。ただバレエでも新作になると振付けを通した部分が前面に出てくるので、様式になる以前のもの、動き自身の面白さがあらわれてくるような気がします。

 

 

30年来温め続けてきた澁澤龍彦の遺作が、いよいよダンス作品として舞台に上がります。今の心境をお聞かせください。

笠井>自分の世界をみせるのではなく、澁澤龍彦という人の『高丘親王航海記』を夢に変えるということなので、自分がやりたいことというよりは澁澤さんが伝えたかったものをできるだけ伝えたいという感覚があります。そこは今までの作品とはちょっと違います。

振付けをそのままみせる作品と、振付けを様式になったものをみせるときの違いはひとつだけ。振付けの場合、観客は“あぁ、すごい動きだな”と動きを見る。ところが様式になると、イメージで見るようになる。舞台の面白さというものが、動きよりもイメージの面白さになる。そういう意味でいえば、この作品はとげとげしい振付けをみせる作品というよりは、半年練習して摩滅してイメージの力に変わっている。一種、夢の中にお客さんが入るような作品かもしれません。

 

 

 

 

-コンテンポラリー